私は、拓郎の歌でずいぶん、つらい時も乗り切れた。
もちろん彼の歌ばかりではない、中島みゆきの歌にも助けられた。
ただ、やっぱり男性の声で歌ってほしいものもあるんだ。

元気です』は、私が入社一年目のときにグッときた。
もちろんこの曲がリリースされたのは、ずいぶん古く、私が小学生の時に拓郎が作詞作曲したものだ。
なのに、学生の頃には、あまり気に留めたことがなかった。
ものすごくわかりやすい歌詞で、物語になっているんだね。
つまり受け入れるほうにも、なにかしら「隙間」がないと、歌というものは体に入ってこないのだということだ。

そうだ 元気ですよと 答えよう

このフレーズが、萎えた心にふたたび養分を送ってくれるようだ。

院に進学したので、人より後から社会に出ることになる私は、先に働いている同期生に引け目を感じていた。
自分で決めた進路なのに、そういう狭小なところが私にはあった。
頃はバブル経済が花開いて、別に、焦ることなどなかった。
まだまだ甘ちゃんだった私は、モラトリアムを謳歌していた。

おそらく今の若い子の方がしっかり足元を見ているのではないだろうか?
彼らは現実的で、人前で夢を語ろうとしない。
夢見がちなことを真剣に言うと仲間から引かれるんだとか、言っている子がいた。
それでも大人の前では「夢を持て」と言われ、そのギャップに疲れるのだとも言っていた。
私は思う。
本当は、彼ら、彼女らも夢を持っていて、追いたいのだ。

だから『唇をかみしめて』の広島弁がやわらかい。
拓郎は鹿児島生まれらしいが、幼少のころに広島に引っ越したとかで、ほぼネイティブの広島弁をしゃべる。

ええかげんなやつじゃけぇ
ほっといてくれんさい
あんたといっしょに
泣きとうはありません…


ええでしょう?私、ここの部分が好きなのよ。

何かはわからん
足りんものがあったけん
生きてみたんも
許されることじゃろう

自分のあしたさえ
目にうつりもせんけれど
おせっかいなやつやと
笑わんといてくれ…

理屈で愛など
手にできるもんならば
この身をかけても すべてを捨てても
しあわせになってやる


こういう気持ちになったことがあるだろうか?
私も、夢を語る前に、現実に目を向けた。
そうして、はるか向こうの夢を、夢だったものをかき消したのではなかったか。
だから他人(ひと)の夢を聞くのがつらい。
妬ましい。
私がいけないのにね。
私がだめな人間なのにね。

表向きの自分がいる。
そして腹黒い自分が、もっと身近にいる。
「私はあなたを受け入れる」というふりをしながら「あなたなんか、箸にも棒にも掛からんわい」と思っている自分がいる。
私はそれを「内心の自由」と呼んでいる。
「内心の自由」が文章を編ませ、何かを紡ぎ出そうとする。

拓郎は「内心の自由」を詞にすることが巧みだ。
少なくとも私はそう思う。
さだまさしは「良心の詞」を書くし、松山千春は「かっこつけ」だし、井上陽水は「つかみどころがない」し、中島みゆきは「信仰の詞」になってきたし…
そこへいくと、吉田拓郎という人は「内心に闇を持っている」のではないかと思う。
武田鉄矢のような「右派」でもなく、岡林信康のような「左派」でもなく、伊勢正三のような「軟派」でもなく、拓郎は「硬派」には違いないと思う。

私は批判しているのではない。
それぞれに歌い手の良さがあり、私はどの歌手も好きである。
当然、拓郎の作品の中にだって同意できないものもある。

なべて、拓郎のこの二品は好きな曲である。