私はこのことをブログに書こうか、書くまいか迷った。
中村哲先生がアフガンで凶弾に倒れた事件のことである。
私は、中村先生のことを、この事件が起きるまでまったく知らなかった。
だいたい、アフガンで過去にも日本人の拉致、殺害があったので、とても危ない場所であるという認識しかなかった。
そういう認識は当たっていたのだが、それにもまして、日本人が命を賭してまでアフガンの不毛の土地を開拓、灌漑して緑を取り戻す事業をおこなっていたことについて印象すらなかった。
中村氏は医師であるが、診療所を作るより必要なこととして、砂漠の緑化、農業の振興を挙げた。
つまりは、水もなく、食べられないから病気が蔓延し、あげくに紛争が絶えないという悪循環があったのだ。
それほど過酷な地域である。
宗教をなのっているが、過激な思想に頼る人々が増える。
根拠のない救い…
武力こそ生きる縁(よすが)なんていう妄想が人々の心を支配する。

そこに「人間らしい生き方」を提供しようとしたのが中村哲先生だった。
医師としてだけでなく、土方(どかた)として自ら重機を扱い、井戸を穿ち、水路を住民とともに拓いた。
アフガンの人々は、中村医師を救世主として崇めた。
そして自分たちから開拓して、生活を安定させることを学んだのだ。
銃を捨て、ツルハシや鍬に持ち替えるという「人間らしさ」を取り戻したはずなのに、中村先生は、あろことかその銃弾に倒れたのである。
犯行グループは最初から、中村先生を殺すつもりだったという。
動機は不明だが、一説に「水争い」がささやかれている。
なんともやりきれない話だ。
限られた人数で開拓を実施しているために、まだまだ行き届かない場所があるだろう。
それを格差に感じ、妬みが生じることもあるかもしれない。
中村先生は「いずれ、そちらも」と思っていても、まだ行き届かない地域の人には「差別だ」と捉えられることもあったのかもしれない。
これらは私の想像に過ぎない。

それにしても日本政府の中村医師への扱いが軽いように思えた。
首相談話もほとんどない。
マスコミもこういう不幸があって報道し始めたような感じで、とても印象が悪かった。
昨今、危険を冒して紛争地域に赴く日本人に風当たりが強いのも気になる。
私は、中村哲医師を生涯忘れないだろう。


失われた命は戻らない。
それでも日本とアフガンの信頼関係は失われていないと信じている。
後に続く人がいてくれることを期して、私は合掌するほかない。

中村先生の奥様は「尚子(なおこ)」さんだった。