「壁に耳あり障子に目あり」ということわざは、日本人なら知っているだろうが、「障子にメアリー」と外国人の女の子の名前だと思っている子がけっこういるらしい。
何を隠そう、私がそうだったからだ。
とうぜん、ことわざの意味も、「メアリーが壁に耳を当てて盗み聞きをして、はたまた障子に穴を開けてメアリーが覗いている」という感じで受け取っていて、ほぼそれで用をなしていたから、長らく真相がわからなかったのだった。
青い目のメアリーが、なんで日本の障子に穴を開けて覗いていたのか?
遠い異国に、連れてこられたのだろうか?
可愛そうなメアリー…
自分がどうして日本に連れてこられたのかを知りたいがゆえに、盗み聞き、のぞき見をしていたのだ。
と、まあ、こういう物語が私の頭の中で、ちゃんとできていたのである。
「壁に耳あり、障子にメアリー」よいではないか。

つい、このあいだ、Youtubeでサンドウィッチマンのコントを見ていたら、まったくこのことをネタにした『深夜のラジオ』というコントがあった。

ビートルズの名曲『Hey Jude』を知らない人はいないと思うが、私はこの曲を聴くと「兵十(へいじゅう)」という新見南吉の童話『ごんぎつね』の主人公を思い浮かべてしまう。
「兵十、恐れるな。don't be afraid」覚えたての英語で私は想像した。
「Gonは女性なのか?」"her"で受けているところで破綻した。
これもあまり人には言えない、私の秘密だ。

中島みゆきの『時代』の歌詞で「まわるまわるよ時代はまわる」という部分があるが「まわるまわる四時台はまわる」と聞こえて、「ああ夕方なんやなぁ」と勝手な妄想が起こってしまうのは私だけだろうか?

キャンディーズの『微笑がえし』がヒットしたのは、ちょうど、私の高校受験と重なっていたころで、滑り止めの私学と本命の地元公立の両方の合格通知が届いたのは、春のこんな日だった。
「おかしくって 涙が出そう」という歌詞がどうしても「お菓子食って 涙が出そう」という風に聞こえてしまうのだった。
これでは、悲しいはずのお別れが、ギャグになってしまう。
いや、かえって「泣き笑い」の雰囲気が出ているなぁとも思って、現在に至っている。

『微笑がえし』は、キャンディーズのラストナンバーになった(本当は『つばさ』がラストである)。
普通の女の子にもどるために彼女たちは、自分たちの足で歩み出したのである。
私より七つほど年上のお姉さんたちの、輝かしい旅立ちだった。
そして私も高校生として新たな第一歩を踏み出したのである。

歌詞の聞き違いで、有名なのは唱歌『ふるさと』だろう。
古語なので、幼い者にはさっぱりわからない。
「兎追いし」を「うさぎ美味し」と聞き違えるのは序の口で、「イカにいます 父母?(イカのなますかな)」、「つつがなしや、ともガキ」と意味不明なガラの悪い友人を想い、なんでこれが「ふるさと」なんやろ?と思ったものだ。
大きくなって、そこそこ古文も習い、歌詞を字面で読めるようになれば、なんとも珠玉の言葉で織られた文学者高野辰之の手になるものだと知る。
『朧月夜』、『春の小川』、『春が来た』の三大「春の歌」の作詞も高野氏であったことが、わかってきている。
というのも、長らく小学唱歌の作詞作曲者の名前が伏せられていたからだ。

私は知らなかったのだが、スポ根アニメの大作『巨人の星』のテーマソングの冒頭「思い込んだら」を「重い、コンダラ」という風に聞いた子供たちが結構いたらしい。
「コンダラ」とは何ぞ?
それが、あのグラウンド整備につかう、人が引くローラーのことだというのだ(本当の使い方は、人が押すのだそうだ)。
※このローラーは400㎏もあって、引くと慣性でローラーが止まらずに引いている者をローラーが轢いてしまうことがあるので押して使うのが安全である。

確かに、重そうだが、あれが「コンダラ?」
もちろん、そんな名前ではない。
あれは「グラウンドレーキ」とか「整地ローラー」というものだ。
当時子供だった人たちの話を総合すると、あのテーマが流れるときの絵が、飛雄馬(ひゆうま)がその「ローラー」を重そうに力いっぱい引いている場面だったというのだが、テレビ局の話ではそんな場面は一切なかったらしい。
だいたい歌詞のテロップが下に「思いこんだら 試練の道を」と出ていたらしいから間違いようがないというのだ。
じゃあ、どうしてなんだ?
「お、も、い~、コン、ダァラ~」
真相は闇の中だが、事実、それ以来あのローラーが「コンダラ」と広く呼ばれて通用していたらしいから、面白いものだ。
※参考文献『お言葉ですが…』(高島俊男、文春文庫)

どうでもいいことを、だらだらと書いてしまいました。