この一対のプロジェクトは、互いに密接に関係しています。
「科学の森」がリアルであり、「本の森」がバーチャルなのです。
「本」はテキストでしかないけれど、情報としては実に豊富であり、「本」なしには、一歩も前に進まないのが、私の今までの生き方でした。
しかし、世の中には「まずやってみよう」という人々もいる。
生きざま自体が「リアル」な人々。
体育会系の人がそうであり、記録や勝率こそが「生きがい」だという人生。

そんな私でも、バーチャルだけでは栄養失調になってしまう。
あまり行動力のない私が、小さな箱庭でもいいから、リアルを追求しようとしたのが「科学の森」という構想でした。
この「森」には、「これが科学?」というようなものまで含まれているようです。
たとえば、オカリナやハーモニカなどの楽器です。
「音」というものは、「光」と同様に物理学の一分野です。
440Hzの「ラ」の音を基準に、オクターブが作られる。
和声が組立てられる。
メロディやリズムが生まれる…時計やメトロノームが「一般化」してくれて、音楽の言葉として通用するようになるのです。
立派な科学なんですね。音楽は。

この「森」には生物に関するものが少ないように、私も感じています。
「ヒヤシンスポット」に水を満たして、ヒヤシンスの球根を水栽培することぐらいしか生物に関する「森のアクター」はいないようです。
生き物をこんな小さな世界に閉じ込めてはいけないという、私の信念があるからです。
生物はフィールドで…
私たちが、自然界におじゃまして、見せていただくという立場で、その道具として「ニコンの7倍率×35㎜双眼鏡」が用意されています。
だから「動物を飼う」ということもしません。
三毛猫のみすずが家にいますが、彼女は家族であり、観察はさせてもらっているけれど、飼っているという意識はない。
親愛なる同居人です。
かつて「金魚」を飼っていましたが、野良猫の餌食になってそれ以来、やめました。
野良猫も必死なんです。生きるのに。
金魚一匹でどれだけ命をつなげたかわからないけれど、何かの足しにはなっただろう。
そう思うと、べつに惜しくもない。
答えになっていないだろうけれど、生き物を「科学の森」に持ち込むことは私のエゴであるから、もうしないのです。

自然観察には出かけますよ。
昆虫だって触ります。
フィールドノートに記録し、写真に収めて帰ってくる。
標本は作らない。
アリにしろ、クモにしろ、動いているから意味がある。
そういうことです。

電気関係が少ないのは、時代のせいです。
私はもう今の電子回路についていけません。
デバイスが小さすぎるし、デジタル回路は科学というより技術でしかない。
それは専門家に任せて…すると、アマチュア無線機やパソコン、スマホ、ラズパイなどにも興味はあるけれど、お金でどうにでもなるという味気無さがあるんですね。
使いきれない機能満載で、私は疎外感を感じるんです。
かつてのアマチュア無線機には、手作りのロマンがありました。
QRP運用(小出力での通信)がそうです。
免許されている最大限の送信出力を使って運用したいのが人情だろうけれど、そうすると電波障害を近隣に与えたりしますし、「金にあかして何でもできる感」が嫌味です。
高い高いタワーに大きなアンテナを自慢げに立てて、ご近所に恐怖感を与えているのがわからないのでしょうか?
郊外のだだっ広いところでならそれもいいでしょう。
アマチュアなら、QRPに挑戦してほしい。
上級ハム(1級や2級のアマチュア無線技士)でも送信出力を10ワット以下(電話)もしくは5ワット以下(電信)に抑えて、アンテナやロケーションを工夫し、より遠くのアマチュア局と交信することは、とてもモチベーションを高められると思うのですがね。
電信通信なら送信出力が1ワットという可愛らしい送信機で十分、遠くに届くのです。
そういう無線運用なら十分「科学の森」のメンバーたりうるでしょうね。
私も、少しがんばってみようと思います。
というわけで、ITやICT関連は「科学の森」には入れてません。
ただ、ラズパイで子供たちと一緒に学ぶことは、これからもしたいと思っています。

あとね、天文関係を入れたかったんだけど…
この地域で星空は望めないし、望遠鏡という高級な装置を持てるはずもなく、せめて星座早見盤くらいしか揃えられません。
まだそれなら顕微鏡のほうに力点を置く方がいいかなと。

結局は、一人遊びの「A little world」でしかないんだけどね。