今日の『エール』の再編集放送を観て、古山裕一(作曲家:古関裕而)が福島の家族を捨てて、単身東京に出るシーンが、私には釈迦の出家に重なった。
恵まれた環境に生まれ、美しい妻にもめぐり逢い、何不自由なく生活していたゴータマ・シッダールタ王子は突然その立場を打ち捨てて、裸一貫で王国を去るのである。
人々の幸せを願って。

残された人々の悲しみや失望はいかほどだったろう。

しかし高い志に突き動かされて若者は旅立つのだった。

今読み終えた古い本がある。

つかのまの二十歳
畑山博の『つかのまの二十歳(はたち)』という青春物語で、高校生の読書感想文のための課題図書にもなった作品である。
もっと読まれてほしい作品だが、すでに絶版になって久しく、重版の予定もないらしい。
おそらく古書店でしか入手できないだろう。
図書館にならあるかもしれない。
私は、畑山氏の作品に惹かれるものがあって、何冊か所有しているが、この『つかのまの二十歳』は、彼の芥川賞に輝いた『いつか汽笛を鳴らして』よりも表現において優れていると思っている。

主人公の「私」はハイティーンであり、貧しく高校にもろくに行っていない。
時代背景としては、昭和30年代前半ではなかろうか?
早船ちよの『キューポラのある街』の背景と重なる。
この二作品は対比して読まれることをお勧めするが、『つかのま』の方の主人公の「私」は、時代に取り残された孤独を背負って生きる若者であり、『キューポラ』の主人公「ジュン」と弟「タカユキ」は時代に取り残されないように前を向いて、父親を含めた「オールドタイプ」と決別する話だ。
『つかのま』に絞って書こう。
「私」は、最初、新聞配達で、精神衰弱した働けない母と幼い妹を食べさせていた。
父親はすでに亡くなってしまっていた。
母親は祖母から受けついだ「駄菓子屋」を営んでいたが、立ち行かなくなり、店をたたんでしまったのである。
そう言う事情で「私」は一家の大黒柱として働いており、学校のほうは閑却されてしまっていた。
というのも、学校では休みがちの「私」をないがしろにする教師や学友ばかりで、出席したところですぐにいたたまれずに早退してしまうハメになる。
「私」は「お呼びでない」存在だった。
「私」には居場所がない…この物語を通底するテーマである。

新聞配達の仕事でも、最初は先輩の「シマ」を分けてもらって配達するのだが、悪い先輩に騙され、たかられる始末で、懐はからっぽだった。
職安(今でいうハローワーク)では、低学歴の「私」のことなど親身になってサポートしてくれない。
おまけに「私」は口のきき方がなっていないし、学歴もないのに希望職種を「記者になりたい」と言ってはばからなかった。
「私」にはある種の志があったようだ。文筆業だ。
それは作者、畑山氏が「私」だからなのだろう。
職も決まらずぶらぶらしていると、母親が「いい働き口」として、とある町工場の募集を拾ってくる。
なんでも、残業なしで、夜学にも通わせてくれるという待遇なのだ。
飛びついた「私」は面接に履歴書も持たずに工場を訪れる。
なんとか潜り込めた職場は、想像に反してひどかった。
金属加工業の町工場で、旋盤とフライスなどの機械が数台、どろどろの工員が黙々と作業している。
もちろん「私」はこんな仕事は初めてである。
残業がないなどという触れ込みはどこへやら。
夜学に通わせてもらえるという売り文句は「カラ手形」であった。
ぶん殴られ、下働きをしながら旋盤を扱えるまでに成長する「私」。
先輩にいじめられながら、派遣先で蔑まれ、嫌な仕事ばかりを押し付けられても、繰り言を言わずに「私」は耐えた。
そんな中で、ある文学愛好家たちの集まりに顔を出す機会を得る。
やはり、文学に対するあこがれは捨てていなかった「私」である。
そこでは、住む世界の異なる同人たちとの交流があり、惨めな気持ちにもなった。
同人の中でも親しくする者もでき、女性の同人とも知り合い、「青春」らしき時代が「私」にも訪れた…
かく言う私も、機械工をしながら児童文学会に参加し、挿絵を描いたり、合評会で意見を言ったりしているので、この「私」の気持ちがよくわかるのだった。立ち位置の違う人々との交流で、自分の嫌な面も気づかされるのだった。

この物語に漂う香りというか、臭気というか、その描写が畑山氏らしく克明なのだった。
機械油の重い匂い。
洗濯しない汗まみれの作業着のすえた匂い。
そして自身の掌の描写。
切粉(きりこ)が突き刺さって、硬くなった皮膚。
刃物にえぐられた傷跡。

修理に来いと呼び出され、大手の会社の塵一つない工場に行く、どろどろの「私」。
道中にバスに乗るも、あまりの汚さにほかの客の目が「私」に集中する。
その大手企業の守衛室の前で、持ち物検査のため、工具箱の中身をその場で広げさせられる屈辱。
修理と言えば、なんのことはない「ピン抜けによる歯車の空回り」であり、すぐに終了する内容だった。
しかし、大企業の担当者は「不満顔」だ。
汚い若造の「私」が簡単に直してしまったことへの不満だった。

こういうのは、機械工の私にも「あるある」である。
「女」だと思ってバカにしている現場の人の口ぶりは、今でも腹が立つ。

砲金の切削加工の仕事で、依頼仕事なのだが、依頼者側の要求で「切削くずの重さを測れ」というものがあり「私」が面倒だと思ったくだりがあった。
切削くずや切粉など、切削と同時に捨て置かれるものなのに、計量のために一か所に集めておかねばならない。
万の悪いことに砲金の加工品ごと盗難に遭うという始末。
警察が来て、取り調べになり、「私」も疑われる。
なんとも嫌な話だ。
このような特殊な金属は価値も高いので、屑でもカネになるからだ。

あと真鍮加工での「シアン処理」によるシアンガスの吸引で体が不調になったり、その排水がそのまま下水に流れていたり、今では考えられないような劣悪な環境なのだった。
さらに切削工にありがちな眼球への切粉の突き刺さりである。「私」も例外ではなかった。
防護眼鏡がないのが常態化している現場では、角膜に金属の切削くずの細かいものがいっぱい刺さって目が見えなくなるのだ。

労働組合の話などを持ちかけようものなら容赦なく干そうとする経営者の実態も生々しい。
そしてこの時代にも歴然と「格差」が生じていた。
格差社会は何も今に始まったことではないのである。
その時代時代に格差は生じ、そのはざまで理不尽な仕打ちを受けることは無くならないのだった。
言葉巧みに、強者が弱者を瞞着するのである。
その強者とて、まったく市井の普通の人々であって、極悪非道な人物ではないのである。

高校生以上を対象とした推薦書になっているが、畑山氏はもとよりそんなつもりで書いてはいない。
ゆえに、高校生にはわかりづらい専門用語や卑猥語も出てくる。
ハイス鋼、砲金、チョークを学校の教師よりも使うのは工員だという事実、蹴とばしプレス、低速フライス盤、卓上ミーリング、ターレットパンチャー、バイト(旋盤の刃物)とそれを自分なりに切れるように加工する話など。
溶接したり、グラインダーで削ったり、私たち機械工が毎日接する作業が宝石のようにちりばめられていて、とてもおもしろかった。
畑山氏が工員生活をしながら作家活動をし、遅咲きながら芥川賞に輝いた経歴を鑑みれば、この『つかのまの二十歳』こそ、彼の記念碑的作品のような気がしてならない。

働くということが、今ほど守られていなかった時代である。
こき使われることが当たり前、嫌なら食べていけない。
家柄や学歴で適当に「能力」を判断され、それが伴わない人々にはどん底を這い回らせる。
昭和の働き方はそうだった。
令和の時代は変わったか?否、何も変わっちゃいない。
畑山氏はそんな社会に、一石を投じたかったのだろう。
あるいみ、プロレタリア文学になるのかもしれない。戦後の小林多喜二だ。

『つかのまの二十歳』にこんなエピソードがあった。
「エリーゼのために」というベートーベンの有名な曲があるが、この曲は工員にとっては別な意味で印象深い。
工場内の注意喚起のBGMに使われていたからだ。
私もこのフレーズを聞くと、薄暗い工場に自走する運搬車が近づいてくる様を思い浮かべる。

ついに「私」は劣悪な工員生活に終止符を打って、外に飛び出す。
ペンで身を立てるのだと。
残された仲間を振りほどいて…
『エール』の裕一やゴータマ・シッダールタたちのように。