アマゾンプライムで配信されていましたので、すき間時間で鑑賞しました。
小松左京の原作本(カッパノベルス)は中学生の頃に家にあったから読みました。
おそらく叔父が買ったんだと思います。
映画は観る機会がなかった。

ただ、田所博士を小林桂樹(故人)が演じていたのは、うっすらと覚えていました。TVCMか何かで見たんでしょう。

今回、改めて観る機会を得て、竹内均東大名誉教授(故人)や小松左京氏(故人)のカメオ出演が見られて面白かった。
小野寺(藤岡弘)に「よぉ」と一言声をかけるだけなんですが、ばっちりカメラに小松左京氏が写っていましたよ。

山本総理(丹波哲郎、故人)、二谷英明(故人)、夏八木勲(故人)、滝田祐介(故人)など今は亡き名優がずらりと、年代を感じますね。

山本総理が日本の近海に深い海溝があり、海底火山が活発に活動している理由をわかりやすく説明してほしいと要望すると、竹内均先生が地球物理学の専門の立場から、観客にもわかるようにプレートテクトニクス理論を説明してくださいました。
ほかに、田所博士が政界のドン、渡(わたり)老人(島田正吾、故人)にウェーゲナーの大陸移動説を教授するなど、予備知識のない観客へのサービスが充実して、少しくどいくらいでしたがね。
小野寺と玲子(いしだあゆみ)との出会いから、親密になるまでの早いこと!
話が「日本沈没」なんで、色恋沙汰は最小限のエコロジカルな展開になっているのかな?
そして、小松氏の希望なのか、脚本家や監督、もしくは政府の意向なのか「女は子供をつくることが第一」みたいなトーンが随所に感じられたのは私だけだろうか?

小野寺さえ、玲子に「結婚は」と問われたら「するさ。子供がほしいから」みたいなセリフを吐いたではないか。
また渡老人の姪だったか、そばに仕えている花江(角ゆり子)に、もはや日本が沈没する寸前、老人が「生き延びて、日本人でも、どこの国の男でもいいから結婚して、子供を作れ」と諭す場面もありました。
危機ののちに、子孫を残すことが滅びゆく民族に残された責務であるかのよう。

私が気になったのはそこくらいかな。
日本列島は、ばらばらに沈んで、細かい島を残すのみになりましたが、不思議なのは、朝鮮半島なんかは無傷なのね。
太平洋プレートやフィリピンプレートなどがかち合う日本列島だけが犠牲になるんだというのがプレートテクトニクスの教えるところなのだから、まあそうなんだろう。
朝鮮半島には地震がないらしいから、大陸塊の上で安泰なのかもしれない。
それでも遼東半島や旅順、山東半島のあたりの黄海北部はジグソーパズルのようにはまりそうで、海が割れて土地が移動したようにも見える。
あのあたりは、地震はないのかな?

伊豆半島はその昔、伊豆大島のように島だったと言われ、プレートに乗っかって、太平洋の沖合から日本列島に近づいて、ぶつかって陸続きになったという。
この映画でも、葉山の玲子の家のプライベートビーチで玲子と小野寺がむつみ合っている最中に天城山が大噴火を起こし、火山弾の雨あられに二人が見舞われるシーンがありました。
天城山は伊豆大島の三原山のように、島の中心火山だったのでしょう。
『伊豆の踊子』を再読した後なので、感慨深いわぁ。

この天城山の大噴火は日本沈没の予兆にすぎなかったんです。
玲子の両親は下田の別荘に滞在中だったそうで、残念ながら亡くなってしまいました。
小野寺は深海探査船「わだつみ」の操縦士なんですね。
そして、結城(夏八木)とペアで「わだつみ」を操るんです。
結城は母船の上で、わだつみに指示を出す役回りです。
ところが、小野寺はその手腕を田所博士に見込まれて、「わだつみ」の会社から引っこ抜かれ、フランス製の「ケルマデック」の操縦を任されるのでした。
当然、結城は「なぜだ?」と怒ります。
田所博士にしたら、高性能な「わだつみ」を使いたかったのですが、自分だけで借り切って使いたかったんです。
「わだつみ」の海洋開発会社にしたら、世界から予約が殺到している潜水艇ですから、田所博士だけのために用立てることは不可能だったのです。
そこで、山本内閣の極秘部門が田所博士の研究所に来て、専用に使える「ケルマデック」をフランスから調達して、人選を博士に任せたところ、操縦士には小野寺しかいないと強引に引っ張ったというわけ。
このように山本総理は田所博士に全幅の信頼を置いていたのでした。
また気難しい田所博士に、当初は気が進まなかった小野寺も、博士の有能さに気づき、博士のために協力を惜しまないのでした。

いまの新型コロナ禍に対応する安倍総理とは正反対の山本総理は、内閣の操縦もじょうずだった。
しかし、日本沈没の前には無力だったのです。
沈没後、難民化する日本人の受け入れ先を、各国にお願いする内閣改造人事を強行し、なんとか日本人を少しでも救おうとする滅私の総理の行為を安倍総理に見習っていただきたい。

日本を愛するがゆえに、それぞれの任務を果たすという理想がこの映画では描かれるのです。
この裏には、太平洋戦争の反省があるような気がしてならないのです。
小松左京氏がこの小説を発表したのが、高度成長期からの目標を失いつつあったオイルショックの日本だったことと重なります。
松本清張原作映画『砂の器』が上映されたころとも重なり、よく対比されます。

映画を通して日本人に何かを訴える作品が近ごろ少ないと思いませんか?
もっとそういう作品に出会いたいものです。