あまり工場に通えないので、コロナのこともあるし家に仕事を持ち帰ることにしました。
「ものづくり」なのでリモートワークをするとすれば、内職になるわけ。
測定器や工具は自前のものを使い、治具は会社で使っているものを持って帰っていいということで、部品ケースとかは支給品です。
作業台と椅子はAmazonで買いました。
この先もずっと続きそうなんでね。
仕事場
明日は、ここに顕微鏡を持ってきます。やっぱりいるわ。
IT関係の人はパソコン一台あれば仕事ができてええなぁ。
こっちは接着剤が二種類、重合性ウレタン樹脂(二液、要冷蔵)が缶とボトルで冷蔵庫にいれておかねばならず、焼き肉のたれとか処分して場所を作ります。
導通試験のテスター、養生治具、全長治具が何種類かあります。
部品は、これまた手作りなんですよ。
ステンレスパイプを八光さんから購入して、Gの何番とかあるでしょう?それをリューターを改造した精密切断機で工場で切ってくるんですね。
切ったものを、ここでバリ取り、面取りののち、ノギスで全長測定してから、接着していきます。
G22とかG27というかなり細いステンレパイプを使っているので、ハズキルーペをかけてそれでも見えない時は、裸眼で、それでもあかんときに顕微鏡と、段階を踏みます。
だいたい90分硬化のエポキシ系接着剤を使いますので、余裕はあります。
旦那が、おしっこだの、なんだのを途中に入れてきても、対応可能な硬化時間を選んでいます。
まだあるんですよ。
ポリイミドパイプの切断です。
太いものはプラスチックニッパー(フジヤとかケイバの切れ味鋭いやつ)で切りますが、外径0.13㎜とかの毛のようなパイプだと、デザインカッターでPPまな板などの硬い目のものに押しつけて切ります。
このパイプに硬化前のポリウレタンを毛管現象で吸わせ、内部で硬化させます。

さて私はいったい何を作っているのでしょうか?
それは言えないのですね。
お見せすることも、この段階ではできないのです。
最終製品はAmazonでも売らしてもろてます。
片手に持てるほどの小さな器具です。
電子材料をあつかっている人なら、見たことがあるかもしれないし、使ったことがあるかもしれない。
まあ、一般にはあまり用のないものです。

困ったことに、私しかこの作業ができないのです。
私が考えたのだから、仕方がないのです。
誰にも教えていないのです。
というか、私の下に次の人が入ってこないから、そうなってしまうのです。
他の人は、やっつけ仕事で忙しく、もっと重い労働をさせられているようです。

リゾート地で仕事をなさったり、リモートで打ち合わせて、あとはリモート飲み会ですか?
クリエイティブなお仕事って、あこがれますね。
私の仕事もクリエイティブなんですよ。
自分で作って、工夫して…でもなんか違う。
基本、メールか電話があれば、量と納期の話なんで、打ち合わせは済みますが、あとはせっせと見えない目をこすりながら作るだけなんです。

IT貴族と、AIに仕事を奪われた労働者階級に二分化されるんでしょう。
金をとれる仕事を持たない人は野垂れ死にするんだと言われています。
なんでそんな世の中になったんだろう?
働き方改革って、弱者切り捨てなんやね。
みんながみんな、売れる仕事を持っているわけではないでしょう?
楽しく働くということから、遠ざかっているような気がする。
『キューポラのある街』でも機械化に取り残される人々がいた。
新しい動きになじめない人がいた。
それは罪なんだろうか?
自己責任なんだろうか?
C.W.ニコルさんが今年の春に亡くなった。
彼は、この先を憂いて、それでも人間は自然と共存して知恵を出すだろうと期待して逝った。

AIでは、人間が考えられない先読みができると思う。
将棋でもそうだし、天気予報もそうだ。
そこはおおいに期待したい。
だがあくまでもAIのほのめかしに関しては、人間が自分で考えて、「利用」するべきで、「利用」されてはいけない。
藤井聡太棋聖は自分で考えている、偉大な例だ。
AIは過去の膨大なデータの照らし合わせ、比較が得意だから、そこは人間の方が教えを乞わねばならないだろう。
未来予想は、AIの一つの提案として受け入れればいい。
接客業がすべてAIに取って代わられるという強迫じみた意見にも私は与しない。
ATMのような端末接客がコンビニや喫茶店、ファーストフード店で増えるかもしれない。
それでも人がサービスするお店も残ると思う。
ガソリンスタンドでセルフが席巻したが、一定の割合で店員が給油する店がまだあるではないか?
客の方で「セルフ」も「店員給油」も価格的に差がないとしたら、年配のドライバーは店員のいる店を選ぶという。
いちいち車から降りて…アメリカではほとんどそうなのだが、日本では、そういうことを煩わしいとか、給油作業がなんだか怖いとかいう人もいるわけだ。
若い人は、反対に、店員がいちいち聞いてくるのが煩わしいとしてセルフを選ぶらしいのだけれど。
こと「接客」という業務は、お客によって望んだり、望まなかったりという好みがでるものなので、一概に自動でやっていいものではない。
コンビニの自動販売機化になれば、人々にも受け入れられるだろう。
自動販売機は日本で独自に発達した技術であり、文化なのだが、もはやあれを人が代わりにおこなうことは考えられない。

IoTが有効に使われることで、工場業務は激変すると思う。
これは新型コロナ禍で加速するだろう。
工場業務、ことに生産現場では、大企業ほど流れ作業であり、トヨタ方式に代表されるような、チャップリンの『モダンタイムス』そのままに、人間が歯車の一部になって秒単位で仕事を効率的にこなしている。
ここは、ひとつ、もっと無人化を進めて、人間を機械から開放すべきだと思う。
効率だけを求める工場労働は、非人間的だ。賃金も安いし、派遣労働者がいいように使われる。
もっと人がクリエイティブな仕事をするように勧めるのなら、人は工場で働いてはいけない。
辰五郎のようなキューポラでの重労働は、無くしていくのだ。
そして、辰五郎には、もっと教育をして、人間らしい労働をしてもらうように企業が深く考えねばならない。
会社都合で解雇するようなことがあってはならないのである。
人間にとって労働は必要不可欠な行為なのだということを、今一度、企業も働く側も考えねばならない。
働くということに定年はなく、制度として定年があるのみである。
若者には、若者の、壮年には壮年の、老人には老人の労働があってしかるべきである。
機械がやるのは、非人間的な労働だけである。
危険だったり、重かったり、苦しかったりするような労働は、人間は労働安全衛生上おこなうべきではない。
人のする労働は「もっとこうしたい」とか「こんなのがあればいいな」とか、そんな気持ちを満足させるもので、同時に、それによって対価を得られるものなのではなかろうか?
「もっと稼いで、~したい」という労働だと、無理が出たり、無理が通ることで社会がひずむ。

じゃあ、私の労働はどうだろうか?
たぶん機械にやらせるとなると、設備投資にコストがかかりすぎて、会社を傾かせるだろう。
パートのおじさん、おばさんを使う方がかえって安く済む。
そしておじさん、おばさんにも「働きがい」が生まれるかもしれない。
人件費をかけないほうが効率がいいという考え方が、世の中を暗くしているように思えてならないのだ。
モノの値段を決めるのに、コストダウンが言われるが、顧客が買ってもいいという値ごろ感を出すには仕方ないにしても、人件費から削るのは知恵がなさすぎる。
モノの値段が、労働の対価であるというような、マルクス主義を持ち出す気はない。
がしかし、やはり、労働者の生活が、ものづくりやサービスには入っていることは間違いないのである。

こんなことを考えながら、私は、働き方を考えている。
まだ正解にはたどり着けないでいる。