主人を歯医者に連れて行ったついでに私の歯石除去もやってもらった。
身体障碍者を専門に診る歯医者さんで、その家族も診てもらえる。
だから「一見(いちげん)さん」はお断りの歯医者さんなのである。

「サメの歯は何度でも生えかわるけれど、ヒトの歯は一回だけですよね先生」
「ああ、そのこと。それが何か?」
「なんで?」
フェイスシールド越しの田ノ倉先生は、なかなか美人だった。
少し考えるようなそぶりで、おもむろに口を開いた(あたしじゃないよ)。
「後藤さんは、サメの歯が何度も生えかわるって言うけど、それはなんでだと思う?」
「抜けやすいんじゃないかな」
「そうそう。それなのよ。サメの歯はすぐ折れるの。はい口開けて」「あい」
「それにねサメの歯は一種類しかないのよ」「はぁ」
「ヒトは、前歯、犬歯、それと臼歯の三種類があるでしょう?ちょっと痛いかもよ」「ふぁい」
「はい、ぐちゅぐちゅして」
あたしは椅子を起こされて、口をゆすげと命じられた。
「サメは、食べ方も独特で丸呑みなのね。ヒトはよく噛んで、味わって食べるのにね」
「歯が食べ物や、食べ方で形態が変わってくるっていうことですね」
「そう。サメは味わわない。だから鋭く肉を割く歯が一種類でいいの。そのためには簡単な構造の歯で、何度でも生えかわるほうがいいと選択したんでしょうね。はい、倒すよ」「はい」
「で、何度でも生えかわるにはそういう仕組みがあるのよ」「へぇ」
「ヒトには、あごの骨に歯が入る入れ物のような歯槽骨(しそうこつ)というしっかりした歯の土台があってね、そこにセメント質という歯の根の表面の組織と、歯槽骨とを固定する歯根膜(しこんまく)がはさまって簡単には抜けないようになってるの」「ふぇい?」
「ああら、奥歯の歯肉が後退しているところが洗えてないわね」「ほうえふは(そうですか?)」
「えっと、どこまで話したっけ、そうそう、サメにはね、その歯槽骨と歯根膜がないのよ。だから、なんぼでも生えかわることができると言われてるわ。はい起こすわよ。うがいして」
「せんせは、サメの歯まで詳しいんですね」
「歯科医はみんな教科書で習うのよ。たいていの歯科医は覚えちゃいないだろうけど」
「そうなんですか」
「サメの歯はね、ウロコが変化したものだって言われてる。だから組織も簡単で、いくらでも生えかわることができるのかもしれないわ。ヒトを含む哺乳類の歯は進化して、一度しか生えかわらないけれど、その分、複雑な構造で、噛んですりつぶして消化を良くし、味わうということに長けているのよ」
「なるほどぉ。なかなか奥深いですね」
「後藤さんぐらいよ、そんなこと真剣に聞いてくれるの」「好きなもんで」
「サメのような、何度も、それこそ一生に2万本も生えかわる性質を多生歯性(たせいしせい)と呼んでいてね、2、3日で新しい歯に更新されるようよ。いつも鋭利にしておくためでしょうね」
「だから、顎骨に直接歯が生えているんですかね」
「まさにそうなのよ。歯の耐久性のことなんか考えていないのね。だから折れても痛くもかゆくもないのよ。きっと」
「咬むから噛むになったのがヒトの歯ですかね」「?」
先生はにわかに気づかなかったようだ。
「字ですよ。口偏に交わるの咬むと、口偏に歯の噛むの」「あ、ああ。なるほどねぇ。そう言われたらそうよねぇ。後藤さんうまいこと言うわね。はい、じゃあ今度は、歯磨きの指導をしますんで、歯科衛生士の馬場さんと交替します」
「はい。ありがとうございました」
すると、お人形さんのようなかいらしい子が、ピンクのエプロンをしてちょこまかとやってきた。