世界史を高校で学ぶと、第一次世界大戦から世界恐慌、そして第二次世界大戦までの動乱の世紀は大学入試の重要論点だったはずだ。
この動乱の世紀にアメリカではハーバート・フーバー(第31代大統領)とフランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)が活躍した。
いずれも共和党の大統領だが、フーバーは「無能の大統領」として歴史上の評価を受け、ルーズベルトは世界恐慌を「ニューディール政策」で切り抜け、さらに第二次世界大戦を終結させた(道半ばで病死し、トルーマン大統領に引き継がれた)として「有能な大統領」だと評されてきた。
フーバーがなにゆえ「無能」呼ばわりされたのかというと、これも教科書に載っているが世界恐慌に見舞われた米国経済を、なんら有効に救済できなかったからであるとされる。それがゆえに、次期大統領選でフランクリン・ルーズベルトに敗北を喫する。
その後、ルーズベルトは「ニューディール政策」を敢行し、米国経済を破綻から救ったのである。この政策がケインズ経済学からの発想だと誤解されているが、ケインズがルーズベルトに示唆を与えたわけではなく、あくまでもこの政策はルーズベルトやそのシンクタンクの発想からおこなわれたとされる。
ルーズベルトとケインズは一回しか会っておらず、親しい間柄ではなかったとも伝えられている。
ただ、歴史家やのちの経済学者はルーズベルトのニューディール政策がケインズの考えと方向性が似ていたので、ケインズの発想を政治に生かした効果的なルーズベルトの手腕だと勝手に解釈されているらしいのだ。
つまり公共事業を行政主導で大々的に発注し、多くの労働者に仕事を与え、カネを上から下に流すというケインズの考えが、たまたまルーズベルトもそう思っていただけである。
ケインズの考えでは赤字国債を発行して財政を立て直すという根本理論だったが、ルーズベルトは財政均衡主義であり、赤字国債(国の借金)でなんとかするという考えには否定的だった。
ルーズベルトの考え方が、根底に共産主義的な部分が見え隠れし、レッド・パージの矢面に立たされることもあったし、ニューディール政策自体がアメリカ憲法に違反する行為だという法律家まででてきて、「民間がやるべき仕事を国家がすべきではない」と批判された。
これはTVA(テネシー渓谷開発公社)に対する批判であり、違憲だとされたと教科書にもある。
アメリカは自由主義の国家であり、すみずみまで自由の思想が行きわたっており、公共事業ひとつとっても国家が「市場を奪う行為だ」とやり玉にされるのだった。市場原理主義者はルーズベルト大統領に対して「共産主義者」のレッテルまで貼ったのである。

実は、のちの第二次世界大戦においても、ルーズベルト大統領はソ連のスターリンに親和的な態度をとっており、ナチス・ドイツに対抗するにはソ連を補佐することが大事だと考えて援助しているし、ヤルタ会談でもソ連の対日介入にも甘い判断をしたがために、日ソ不可侵条約が勝手に破棄され、終戦間近の日本軍に対して攻撃を仕掛けることを容認し、樺太及び北方四島をまんまとせしめさせたのだった。

フーバーはそんなルーズベルトを冷ややかに見ており、ルーズベルトはフーバーを嫌ってはいなかったが、フーバーは違った。
フーバーの著書『裏切られた自由 上・下』にはルーズベルトの狂気ともいえる外交政策について暴露されている。
フーバーが感情的に吐露したのではなく、綿密な調査、歴史資料の精査、シンクタンク「フーバー研究所」の意見などを踏まえてなるべく客観的にルーズベルト大統領の「なさりよう」を明らかにした力作である(上下巻揃えで二万円近くする)。

第二次世界大戦にアメリカが参戦したのは、イギリスはチャーチル首相の度重なる要請の末だったことはいくつかの映画作品でも描かれている。
なかなかルーズベルトは首を縦に振らない。武器の供与は協力しようなどといいながら、のらりくらりと先延ばしにしたのは、国内世論が「戦争介入に反対」だったからだ。
フーバーと争った選挙戦で、ルーズベルトは「お母さんたち、安心してください、あなたたちの子供を戦地に送り込むことは決してしない」と演説し、フーバーに勝った経緯もあり、戦争をしたくてもできない事情があったのだ。
ルーズベルトとて、世界大戦に参加し、有利に覇権を得たいと思っていたのは第一次世界大戦の戦勝の経験があったからだ。
大きな「世界ケーキ」を取り分けるテーブルにつくためには血を流さねばならない。
国民を戦争参加に導くためには、大義名分をつくり国民に「ファイティングポーズ」を取らせねばならない。

そこでルーズベルトは日本政府を追い込むことに発想を転換したとされる。
これがフーバーらの唱える「太平洋戦争陰謀論」である。
ルーズベルトは蒋介石とも親和的だったことは、よく知られていて、当時の中華民国から「助けて」と言われて、背後から支えた経緯があった。
ゆえに、日本への口実として「中国大陸から手を引け」と命ずるのは一応の筋が通っている。
「さもなくば、石油を輸出してやらない」と続けるのだった。
日本は今も当時も石油を産出しない国土なので、「石油の禁輸」と言われると首を絞められるような事態になる。
日本の軍部(特に陸軍)はアメリカと一戦交えることも辞さないと鼻息が荒い。
陸軍は、ナチスドイツやムッソリーニのイタリアと三国軍事同盟を結ぶべく工作していたころでもあった。
それは対米戦が現実となった場合、三国軍事同盟でけん制し、もう一方で日ソ不可侵条約も結んでいるという二面性で大陸の安全性を保とうとした陸軍首脳が「アメリカ憎し」と思うのはルーズベルトも承知していただろう。
地球儀をながめながらルーズベルトは考えたに違いない。「窮鼠猫を噛む」ということもある。
日本をいじめぬいて、先にこぶしを振り上げさせて殴らせてやれば、アメリカ国民も「日本はけしからん」と重い腰を上げるはずだ。
それがまんまと「真珠湾奇襲」となって、ルーズベルトはほくそ笑んだという。
これで、アメリカ人の間では、極東の野蛮人国家「日本」をやっつけろと世論が沸いたのである。
それまで日本人のことなんか知らなかったアメリカ市民までもが、拳を挙げて日本をやっちまえとなってしまった。

ルーズベルトはアメリカ海軍第七艦隊(太平洋艦隊)を瞞着し、真珠湾に旧式の戦艦ばかりを集めておけと命じた。
コーデル・ハル国務長官をして、到底日本が飲めない要求をつきつけ、戦争させるようにもっていかせたのであった。
そこにはルーズベルトの日本人への蔑視もあった。
先に、アメリカに住んでいる在米日本人を収容所に集めて隔離してしまったのは、そういう差別意識があったからだろうし、原子爆弾の威力を日本人で試そうとしたのもルーズベルトの日本人蔑視からきているのだと思えばうなずけよう。
もしナチスがもっとがんばって降伏しなくても、決してヨーロッパでは原爆を使わなかっただろうからだ。
ルーズベルトの命令書には日本の広島と長崎に新型爆弾を落とせと書いてあったのだから。

開戦後も日本は、吉田茂外務次官ら(ヨハンセングループ)をしてアメリカとの和平の糸口を模索したが、日本の軍部も邪魔したし、ルーズベルトの外交筋も握りつぶした。

ルーズベルトは止めようと思えば止められた太平洋戦争を、あえて、とことん、日本を潰すまでやるつもりだったことから、フーバーは「狂気の人」だと評したのである。
フーバーはダグラス・マッカーサーとは知己だった。
フーバーの大統領時代に退役軍人への恩給をを支給せよという退役軍人たちの「ボーナスアーミーデモ」を取り締まるために、当時陸軍参謀総長だったマッカーサーに鎮圧を命じたが、マッカーサーが越権行為をおこなって軍人たちを弾圧したためにフーバーの管理能力が問われたという一コマがあった。
日本が負け、駐留軍の総帥としてマッカーサーが日本にやってきたとき、占領下の日本を、フーバーが視察に訪れたことがあった。
日本の惨状をまのあたりにし、欠食児童の多いこと、餓死者が後を絶たないことなどを知るにつけ、これではアメリカの占領政策が不首尾だとそしられるだろうし、敬虔なプロテスタントであったフーバーの信仰心も許さなかった。
日本の子供たちに栄養豊富な給食をと、大量の脱脂粉乳やメリケン粉などを米国から送らせたのはフーバーだった。
そのときマッカーサーと会談したフーバーはルーズベルトの狂気や陰謀についても意見が合致したという。マッカーサーもまたルーズベルトによる被害者だったのだ。
マッカーサーは戦時中はフィリピン戦線で日本に敗走させられ、「I shall return!」と捨て台詞を残して退いたというエピソードがあり、日本をとても憎んでいたかのように思われているが、そうではなく、占領下の日本に対しては、立ち直らせたい一心で仕事をしたと言われる。それが押し付け憲法などに残っているわけだ。
※一説に、フィリピンにマッカーサーの父親が経営する農地などの広大な地所があり、それが戦争でめちゃめちゃになってしまい、恨みつらみがつのって「覚えてろ!」という呪いの言葉になったのだという。

マッカーサーはすでに軍の仕事に嫌気がさしていて、アメリカに戻って大統領選に出たいと思っていたらしい。
後の朝鮮動乱で、マッカーサーは無能な指揮官を演じたが、それは本国へ早く召還してほしいというストライキではなかったか?

フーバーが前掲書で日本人に伝えたかったことは、あの太平洋戦争は忌まわしい出来事だったが、日本だけが悪いのではないこと、アメリカもそういうふうに仕向けたことが事実としてあったのだということだろうか。
極東軍事裁判は戦勝国の一方的な「復讐劇」になってしまい、尊い命が奪われもした。
一つの教訓を引き出せるとすれば、戦争を二度としてはいけないという、普遍的な意味だろう。
戦争をしかけた側、しかけられた側、日和見を決めていた側などいろんな立場があるが、とにかく戦火を交えるようなことを軽々におこなってはいけない。
戦争は始まってしまうと、簡単には終わらないのである。
短期決戦など、理想でしかない。恨みは永遠に続くのだから。