World Food Programme(WFP)が今年、2020年のノーベル平和賞に輝いた。
この新型コロナ禍でますます、紛争地域の児童への食糧事情が悪くなっているときに、WFPの受賞は大きな励みになるはずだ。
この地球上から紛争が無くならないのは、なぜだろう?
貧困が無くならないのは、何か私たちの努力が足りないからなのだろうか?

第二次世界大戦、ことに日本が関わった日中戦争と太平洋戦争に関し、さまざまな考察がなされて、出版界でも夥(おびただ)しい本が世に問われている。
私も、科学史から転じて戦記や評論をよく手にするのだけれど、アメリカ人の手によって書かれた、ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』(平凡社)を読むと、レイシズムと戦争について客観的に論説されていると感じた良書だった。

つまり、戦争になると、自国主義がむき出しになり、もっと言えば、自分の属する人種こそが優位で、生き残るべき人間なのだという極端な排他主義に発展することだった。
そこに思想や宗教は添え物にしかならず、彼らの解釈にいいように使われるだけである。
キリスト教徒だから博愛で捕虜たちを大切に扱ったか?否である。
キリスト教徒は異端者を殲滅することに血道を上げた。
改宗しない者は、この世には不要であるという、短絡的な考えで殺戮の限りを尽くすのだった。
日本兵は、死をものともせず、累々たる屍を踏み越えて、銃弾の前に己を散らすのである。
いわゆる「死兵」である。
米兵は何よりもそういう「死兵」を恐れた。だからそういう日本人は皆殺しにしないと、穏やかに眠れないとまで思ったのである。
そういう「死兵」という戦術はローマ時代からあったし、勇敢な死を見せつけることで相手をおじけづけさせるのが「効果的」だと言うことを知っていたのである。

ダワーは前掲書で「単に人種的憎悪や軍事的熱狂だけではなく、戦場における勇気と平和への夢」がアメリカにも日本にも共通してあったのだと説いた。
アメリカ自由主義にとっても「世界を、地位、不平等、階層的分業と報酬という観点からとらえる西洋的思考様式にとっても」異質ではなかったからであると。
「戦いを通しての浄化」は大和民族が培った神秘的一面として際立っていたが、それはナチスの「民族浄化」と称してユダヤ人を迫害したことに通底することからも、西洋でも同じような考えが台頭していたのである。

よく、フランクリン・ルーズベルト(ローズベルトとも)大統領(第32代)は東洋人、ことに日本人を「サル以下」と蔑んでいたとされる。
だから、日本に原爆を投下することを起案し、病に倒れた後、33代大統領となったトルーマンに実行させたとされる。
※アイゼンハワー大統領(34代)が陸軍司令官時代に、日本への原爆投下を反対しトルーマン大統領に進言したにもかかわらず、実行されてしまったことを悔いていたことが伝わっている。

ルーズベルトの太平洋戦争陰謀論が最近になって、彼の前の大統領、フーバー氏によって暴露されていたようだが、ルーズベルトの日本人差別が、かなり過激なものだったことはフーバー氏以外にも表明する人はいる。
実は、白人至上主義者にとって、黄色人種は「進化論的にも劣った民族」だと信じられており、我々日本人の脳の容積が小さいだのとまことしやかに言われているのだった。
だから米兵の中には、日本兵の死体を損壊し、頭蓋骨を記念に持ち帰る者もいたとされ、恋人にプレゼントして、にこやかに写真に納まっているフィアンセもいたらしい。
ほかにも、日本兵の死体から耳や鼻を削いで、干物にして記念品として所持していたとか、家族に見せびらかしたというような、えげつない話が後を絶たない。
すると、日本人も、父島事件のような立花陸軍中将が米兵の捕虜を処刑し、その死肉を部下にふるまって食べさせ、兵の士気向上をねらったというひどい話もある。
アメリカ人が日本人を心底、恐れたのは南京大虐殺の顛末だろう。
ああいったことを平気でする民族は、地球上から殲滅せねばならないとルーズベルトをはじめ、多くのアメリカ知識人を震撼させたのだった。
戦後になって、「南京大虐殺はなかった」という論調も出てき、中華民国側の捏造だとまで言うのだ。
確かに、虐殺された人数と、当時の南京市の人口があまりにも差があって、被害を水増ししているのだという日本側の調査結果である。
しかし、よく考えてほしいのは、人数の多寡ではなく、一人でも虐殺されたり、強姦されたり、「千人切り」は言い過ぎでも、理由なく民間人が斬首されることなどがあればそれは虐殺や掠奪行為があったのである。
実際に、中国人を斬首したという陸軍軍人の話を私は聞いている(大叔父がそうだった)。
捕虜を虐待してはならないという「国際法」が戦争で守られたことなどないのだ。

豊田穣が航空兵として九九式艦爆に搭乗していたときに米機に撃墜され、捕虜になったが、虐待されることもなく、終始紳士的に接してもらえたと戦後、語っていた。そのときの尋問した米兵がドナルド・キーン氏だったといい、執拗だったが、終始、言葉を荒らげることもなく穏やかで、ただキーン氏のしつこさに根負けして豊田氏が戦艦大和の秘密などをしゃべってしまったという。

このような例は稀(まれ)な方である。

戦争が始まる前から在米日本人は収容所に強制的に住まわされ、人権を踏みにじられたのである。
「黄禍論(こうかろん)」という考えが欧米人に根強くあり、黄色人種が脅威であるという畏怖の念が漠然とあった。
それはモンゴル帝国のユーラシア大陸席巻に由来し、また大唐国に始まる神秘の大国の脅威も根底にあっただろう。
とくにモンゴル帝国はヨーロッパの人々にその残虐さにおいて恐れられた。老人や男は奴隷にされるのではなく皆殺しであり、年頃の女はすべてモンゴル人の種を宿す「母」として扱われた。
その恐れが近代に入って、ドイツ帝国のヴィルヘルム二世によって、邪魔なロシア帝国を極東に釘付けさせるための口実として「黄禍論」で焚きつけたのだった。
その際の黄色人種は中国であり、遠くは日本人も含んでいた。
その後、日本が日清戦争に勝ち、中国は衰えて混沌としてしまい、反対に日本が極東で力をつけ始めると、「黄禍論」の対象は日本人に固定されていく。
日露戦争で日本の「強さ」は確固たるものになって、アメリカにもその脅威が伝わるのである。
そのころから、日本人はハワイや北米大陸、中南米大陸にも移民として広がっていったから、「黄禍論」に拍車をかけることになる。
アメリカは西部開拓時代において、すでに黄色人種の一種といわれるネイティブアメリカンに遭遇し、彼らを瞞着し土地を奪い、彼らを野蛮人と決めつけて虐殺した。
黒人奴隷のように労働力として利用するのではなく、ただ「不要」と言うだけで殺したのだった。
体躯が矮小で醜く、言葉もわからないし、気味の悪い呪術を使うなど、白人には相容れない文化を見て、「劣等民族」だと決めつけたのである。
同じ見方で、アメリカ人の一部は日本人を見ていたと言えるだろう。

日本人の「ハラキリ」や「武士道」がアメリカ人に恐れられたのもうなずける。

劣等な日本人が、なにゆえかくも巨大な軍事力を勝ち得たのか?
領土を伸ばし、天皇を頂いて破竹の勢いを見せているのはなぜか?
白人至上主義者には許せない結果だった。
ワシントン軍縮会議でも、議題は日本の海軍力を抑え込むことばかりが俎上に上げられる。
ナチスは日本と同盟を結んだが、それは日本が秋波を送ったからで、ヒトラーはユダヤ人も日本人も劣等民族だと自署で明言していた。
ナチスは、遠い極東の日本と形だけの同盟を結んで、米国をけん制させるために利用したに過ぎない。
山本五十六や井上成美、米内光政などはヒトラーの腹黒さを知っていたから同盟締結には反対だったのに優柔不断な及川古志郎海相が陸軍の同盟締結論に賛同してしまい日独伊三国軍事同盟が成立したのである。
アメリカも手をこまねいていては、ナチスの思い通りに世界の勢力図が書き換えられてしまうことにルーズベルトは恐れていたが、世界恐慌からの脱出に忙しかった彼はニューディール政策などで国内世論を敵に回したくなかった事情もあり、イギリスとドイツの戦争参加には二の足を踏んでいたのである。
しかし事態は急変していた。
ナチスがフランスを手中に収め、ペタン首相を頂く傀儡政権のヴィシー政権が成ると、南部仏印へのフランスの影響がなくなり、日本がそこに進駐してしまう。
恐れたのは中華民国の蒋介石であった。
満州と南部仏印、台湾と日本に囲い込まれた蒋介石はアメリカに助けを求めるわけである。
アメリカも、日本の勢力拡大は心配の種だったが、戦争をおっぱじめるには国内世論の高まりが必要だった。ゆえに、日本に先に手を出させることによって、国民に「日本憎し」という気運を高めさせたかったと考えられる。
これがフーバー氏のいう「ルーズベルトの陰謀論」の根拠である。
ルーズベルト大統領は日本へ石油の輸出を止めさせた。理由は、中国大陸への進出を直ちに止めよという、当時の日本にとっての無理難題であり、内政干渉だった。
日本は満州国建国の際に、国際連盟で反対され、脱退してしまっていたこともあり、国際世論からすでに孤立していたので、ハル国務長官の度重なる要請にも動じなかった。
この後、1941年の12月8日に日本はハワイの真珠湾を奇襲して、大戦果を挙げる。
その間も来栖・野村駐米大使らは戦争回避にむけて作業を続けていたが、ルーズベルトは「裏切者」と言葉を投げつけたのである。
ルーズベルトの心中は「これで、国内世論は日本と闘うことに反対しないはず」とほくそ笑んでいただろう。
かくして、日本人とアメリカ人の血で血を洗う、激戦が繰り広げられることになる。
人種の違う人々のぶつかり合いは、皆殺しにまで発展するというのが歴史の教えるところである。
そこにルールはない。あってもだれも守らない。
殺し、殺され、掠奪、処刑、暴力、姦淫なんでもありである。
屍は打ち捨てられ、辱められ、損壊される。
最後の一兵まで戦い、殺しつくすのだと号令した指揮官は日本にも、アメリカにもいた。
軍隊とは、思想の左右や、軍国主義と民主主義とは変わりなく、同じ目的で、兵を鼓舞し、戦争に駆り立てるものだということが、先の大戦で明確になった。
その道具としてレイシズムが利用されるのである。
つまり、レイシズム(人種差別)は、戦いの火種になるから、平和な時からその火元を消しておかねばならないのである。
一旦、戦いが始まったら、もうそれは止められない。怒り狂った「王蟲(おうむ)」のように。