舞鶴に到着する引き上げ船が桟橋に横付けになり、異臭を伴って夥しい人々の群れがタラップを降りてくる。
多恵は目を皿のようにして、夫の姿を探し求めた。
数羽のゆりかもめが離れた場所で、とり澄まして人間たちを眺めている。

もう何度目だろう。
真夏の終戦のあの日からこっち、引き上げ船が来ると聞けば、この岸壁に多くの人々に交じって、西川多恵も足しげく通った。
季節は巡り、海からくる風はかなり冷たく感じられた。
「今日も、いはらへん…」多恵は肩を落として、家路についた。
岸壁のあちこちで、再会を果たした家族が抱き合っている。
夫の市蔵は、シベリアに抑留されているのではないかと、周囲の人が悲しみに暮れる多恵に話してくれていた。
青葉山の美しい山容を眺め、生きていれば、きっと会える…そう信じて、多恵は自分を慰めるのだった。
唯一、心の支えになっているのは、市蔵との間に生まれた昭太だった。夫が出征するときに満一歳を迎えたばかりだった。
その昭太がもうすぐ三つになる。栄養が悪いのか、まだ上手に歩けない。
その昭太を義母に預けての、岸壁通いだった。
義父もすでに亡く、市蔵の弟、浩介が家を守っていた。
浩介は、幼い頃の事故が原因で足が少し不自由だった。それで徴兵を免れたのである。
「こんな体やと、嫁ももらえん」というのが浩介の口癖だった。
義母が、「もし、市蔵がこのまま帰って来なんだら、多恵さん、浩介の嫁になったってくれへんか」と最近、口にするのだ。
そんな話を聞くと、多恵には、浩介の目が気になりだした。
嘗めるような目で、嫂(あによめ)の姿態を見ているように感じるのだった。
昭太のめんどうも、浩介はよく見てくれており、畑仕事が十分できない分、家のそういったこまごまとしたことは浩介がやってくれていて、多恵も感謝しているのだった。
多恵は、浩介のことを実の弟のように思っていたものだから、義母の言うようなことが本当になったら、夫にも済まない気持ちがあるし、義弟の女に恵まれない境遇にも哀れに思えた。

「今日も、あかんかったか、ねえさん」三和土(たたき)で藁を束ねていた浩介が、帰ってきた嫂に声をかけた。
「うん」いつもの返事だった。
浩介は、内心、兄がもう帰ってこなければいいのにと思っていたのである。
そうすれば、母の言うように、嫂ののち添えとして自分がなることが自然な成り行きだと思っていた。
そうでもないかぎり、自分は一生童貞で終わってしまうのだと強く信じていたからだ。
「ねえさん、こんなことを言うたらあれやけど、兄さんはもう帰ってこうへん(来ない)かもよ」
「そんな…杉本の若旦那(わかだん)さんかて、おととい、帰ってきはったやん。あの人もきっと次の船くらいで帰ってきはるって」
それには浩介は応えなかった。
ただひたすら、藁を束ねていた。
多恵は夕飯の支度を手伝いに、炊事場に入っていった。義母のきねが米に交じった石を取り除いている。
浩介との会話を聞いていたと見える。
「ああ、おかえり」
「ただいまどす。お義母(かあ)さん」
多恵は手拭いで「あねさんかぶり」をつくった。
「お茄子、炊きましょか」「そうやね。茶筅煮にでもしてもらおか」「はい」
昭太がよたよたと、居間から走ってきた。
「ふふ…ふふ」
なにか嬉しそうに、昭太が多恵に笑いかける。顔色はずいぶんよくなったので、愛らしさが増した。
夫の面影を息子に見る多恵だった。
「しょうちゃん…お留守番できましたか?」「うん」

その夜は、満月だった。秋も深まり、月の冴え冴えとした夜は冷える。
こおろぎが物悲しい音色を奏でていた。
それ以外に音はない…いや、水の音がする。
それは多恵が遅い風呂をいただいているところだったのだ。
鉄の五右衛門風呂は供出させられ、代わりに木桶の風呂がしつらえられた。
浩介が不自由な足でつくってくれたのである。
シャボンなどというものはなく、あかすりで踵などをこすっておしまいである。
それでも一日の終わりに湯に浸かれることは、この時期なによりの贅沢だった。
「はやく、市蔵さんにも入ってもらいたい」
不自由しているだろう夫の生活が偲ばれた。シベリアは寒いところだと聞いている。
今の時期にはもう冬景色なのではないだろうか?
市蔵の最後の手紙ではハルビンにいることが記されていた。
今年(昭和二十年)の五月ごろで、リラの花の香りが街に満ちているなどと詩的なことがしたためられていた。
ソ連が攻めてくるなどとは、まったく思っていなかった。日本とソ連の間には固い約束があったはずだからだ。
陸軍の一兵卒にそのあたりの、からくりが分かろうはずもなかった。

「ねえさん、湯加減はどうや?」
ふと、外から浩介の声がして、多恵は少なからず驚いた。
「あ、ああ、ちょっとぬるいわ」
「待っとって、沸かしたるし」
ざくざくと土を踏む音がした。薪を取りに行ったのだろう。
多恵は、以前から浩介に風呂を覗かれているような気がしていた。
確たる証拠はないのだが、今日みたいに、不意に湯加減を訊いてくれたり、どこか、まとわりつかれているような気がしているのだった。
しばらくして、マッチを擦る音がしたり、薪がくべられるような音が外からする。
風呂の窓は三寸ほど空いていて、実は建付けが悪く、よほど強く引かないと閉まらないのである。
多恵は湯船に身を沈めながら、下から熱い流れが沸き上がるのを感じていた。
とても心地よかった。
「浩介さん、もうええよ。熱くなってきたわ」「よっしゃ」
そう言って、浩介は遠ざかっていったようだ。
別に覗かれていたわけでもなさそうだった。第一、不自由な足で風呂の窓までどうやって届くと言うのだろう。
多恵は湯船で苦笑した。

それから、五日後、また引き上げ船が舞鶴港に来るというので、多恵はいそいそと向かった。
しかし、徒労に終わったのだが、山下三亀男(みきお)という市蔵と同じ部隊にいた男性と出会い、いくつかの新しい情報が得られた。
三亀男は迎えに来ていた妻と息子とともに、多恵と一緒に歩きながら話してくれた。
「自分たちは、ハルビンから西へさらに行ったジャムスという町に駐屯していました」
多恵にとって初めて聞く地名である。
そしてその地で終戦を迎えたと言うのだ。
ただ、内地と違って、日本の移民団が大量に住んでいたので彼らが住居を奪われる事態になり、日本兵も武装解除させられ、ソ連軍が攻めてきても応戦できず投降するしかなかった。
兵は投降するとただちに収容所送りになるので、それを逃れるために一般人に交じり込んで南下したそうだ。
三亀男はうまくやった方だが、戦友の多くはシベリア送りになった模様で、市蔵も途中まで一緒だったが、はぐれてしまったらしい。
「でも西川さんは、収容所送りにはなっていないんじゃないかな…」そう言って口をつぐんでしまった。
「奥さんの前では言いにくいんだが、一般人の家族になりすませば、優先的に帰ることができるんで、西川さんも、ある家族の若い女性と形だけ夫婦になって手続きをしていたからです」と話した。
多恵は夫の生還を望むものの、そのために知らない女と籍を入れたということに少なからず衝撃を受けた。
「じゃあ、生きているんですね」「おそらく」「この船ではないんですか?」
「西川さんは、その家族と朝鮮半島の方に回って鉄道でプサンまで行って、そうすると福岡に着いたんやないかな」と話してくれた。
待てば必ず帰ってくる。そう信じるしかなかった。

家に戻って、多恵は義母や浩介にそのことを話した。

(つづく)