福島原発から出た大量の汚染水の処理について、トリチウム(三重水素)以外の核種をALPSで除去しトリチウム水としたうえで、海洋に投棄する案が実行に移されようとしています。
私もこれはやむを得ないだろうと思います。
このまま問題を先送りにして、汚染水が陸上のタンクに溜まり続けることはβ線源として存在し続けるわけで、環境に良いことではないでしょう。
土地にも限りがありますからね。
また、正しく放射能被害を恐れるという観点からも、トリチウムをいたずらに怖がってしまうのは得策ではありません。
トリチウムはそんなに危険な放射性物質ではないのですから。
ただし、多核種除去装置(ALPS)がちゃんと作動して、汚染水の中の半減期の長い不安定同位体が基準以下に取り除けることが前提です。

このトリチウムについて、少し書いておきましょう。
トリチウム(Tと表記)は、水素の不安定同位体で、その原子核の中性子の数が陽子ひとつに対して二つもある重い水素です。
トリチウムは、β線(電子線)を放って、ヘリウム3になります(β崩壊)。
その半減期が12.3年と長くβ線を放出し続けますが、自然界にわずかにしか存在しないT2Oが生体内に取り込まれてもすぐに大量のH2Oとともに排泄されるので、ほとんど被爆しないようです。
陽子の重さと中性子の重さはほぼ同じですから、普通の水素の三倍の重さがあるということで三重水素と言います。
ちょっと変ですね、気が付きましたか?
そう、正常な水素原子には中性子が含まれないのです。
水素の原子核は陽子だけというのが正常なんですよ。
だから、もう一つの同位体、重水素は陽子ひとつと中性子ひとつの構成になります(Dと表記)。
重水素には放射性がなく、水素の安定同位体として三重水素よりははるかに多く存在します。
ゆえに、普通の正常な水素を敢えて「軽水素」と原子力学者の間では呼びます。
※単に「重水素」というとき、DとTを合わせている場合もあります。

水素原子とその同位体原子はそれぞれ、陽子がひとつで、電子も一つですから電気的に中性であり、その化学的性質に若干の違いがみられますが、化学反応としてはみな同じような反応をします。
ただ質量が中性子の分だけ重いということになります。
すると、それらの同位体から作られる水(H2O)も軽水、重水、三重水(トリチウム水)というように呼ばれます。
このことを基本知識として持っておきましょう。

では、トリチウムはどうやって発見され、また、それが地球上に普遍的に存在する放射性元素なんだという根拠を調べてみましたので、以下に書きます。
原子炉では、制御棒にホウ素を使います。炉心で発生する中性子のうち、余分なものをホウ素に吸収させ、暴走を食い止めます。制御棒の挿入を深くしたり、浅くしたり調整することで原子炉を安全に運転するのです。
したがって、炉の冷却水にもホウ素からの中性子が当たり、軽水の一部がトリチウム水になるのです。
原子炉の冷却水はもともと大量に消費されますので、被爆してトリチウムを含む汚染水も大量に発生しますから、今回のような大事故のあとにはその処理水の問題が深刻になるわけです。
福島原発の場合、メルトダウン(炉心溶融)が起こっていますので、冷却水にさまざまな放射性核種が含まれているようです。
そういった危険の大きい、重い核種はALPS(多核種除去装置)という除去装置で除けるらしく、汚染水をその装置に通して、軽いトリチウムだけを含む状態にし、海洋の安全な場所に投棄するというのが識者たちの意見です。
彼らの意見を総合すると、海洋の深層に管で導いて汚染水を放流すると、漁業には影響がないだろうということです。その深さがどれくらいなら安全なのか、今後調査してみる必要があるそうです。

トリチウムが、地球上に自然に存在するという事実を、まず知っておくことが正しい理解につながります。
地表には少ないのですが、大気圏のまだその上の方で、大気が極めて薄い状況で、大気の主成分である窒素が宇宙からの中性子線を浴びて、トリチウムが発生しているらしいのです。
それが大気の攪拌作用で、雨水に交じって地表に達していることがわかっています。
われわれは、普段からトリチウムにさらされて生きているのです(ウィラード・リビーの推論)。
このウィラード・リビーという化学者が、重い水素を単離することに成功し、ノーベル化学賞に輝きました。
リビーの方法は、水の蒸留によって重い水を沸点差で分けるという単純だが、途方もない手法でした。
軽水と重水のわずかな質量差による沸点の違いで分けるんですよ。言うほど簡単ではありません。
もちろんリビーは重水の中にDとTが混じっていることなんか知りません。
リビーの方法では普通の水と、重い水を分けるのが関の山で、トリチウム水のようなもっと微量しか存在しないものは到底分けることなんかできません。
その後、リビーの同僚のギルバート・ルイスという化学者が、リビーの方法をヒントに、水の電気分解を利用して効率よく重水を分離しました。
重水の方が電気分解されにくく、軽水が先に分解されて軽水素と酸素に別れてしまうので、残った水が重水を多く含むからです。
有機化学の世界では、電子対に着目した「ルイス酸」と「ルイス塩基」という概念を構築した化学者としてギルバート・ルイスの名は記憶されています。

ところで、イギリスのラザフォードが人工的に、中性子を核種に当ててトリチウムを得る実験に没頭していました。彼は、トリチウムが水素の安定同位体と信じており、ルイスの方法を追試して、トリチウムを濃縮しようと考えたのです。
ラザフォードはこう考えたのでしょう。
水よりも重水のほうが電気分解されにくいのなら、三重水(トリチウム水)はもっと電気分解されにくいはずだと。
だからどんどん電気分解を進めて行けば、最後にはトリチウム水だけが装置に残るはずだと。
結果は大失敗でした。
ラザフォードは、トリチウム水が安定に存在しているはずだという虚妄にとりつかれていたからです。

リビーやルイスが研究していたアメリカのカルテク・バークレイ校では、その仲間のルイス・アルヴァレズがサイクロトロンの物理学者アーネスト・ローレンスの協力を得て、マススペクトル分析(質量分析)によってトリチウムの生成側であるヘリウムの同位体を調べました。
マススペクトルで³Heが検出できたということは、この核種が安定であることを示しています。
※安定同位体であるかどうかではなく、半減期が極端に長い核種であるという意味です。今では³Heが安定同位体であることがわかっています。

そしてここからが大事なのですが、³Heが安定同位体だとして、彼がトリチウムから得た³Heには放射性があったのです。
どういうことでしょうか?
考えられることは一つ、「³Heに放射性の核種が混ざっている」ことでした。
もうお分かりですね、崩壊していないトリチウムが混ざっていたんですね。
するとどうでしょう?ラザフォードの「トリチウムは安定同位体だ」という前提が崩れました。
トリチウムは放射能を持つ不安定同位体だというのがアルヴァレズの結論であり、事実そうだったのです。
科学は疑うことだというのが、ここでも発揮されました。

アルヴァレズはもう一つ重要な補強実験をしています。
重水に重陽子を当ててトリチウム水(アルヴァレズは「放射性の重い水」としか表現していない)をつくり、このトリチウム水を電気分解してトリチウムと酸素に分解しますと、酸素には放射性がなく、「重い水素」のほうに放射性があったことを突き止めました。
これこそが「トリチウム」だったのです。
アルヴァレズはトリチウムの発見者でありますが、ほかの業績でノーベル物理学賞に輝きました。とても発想力のすばらしい、実験上手な学者でした。
※恐竜の絶滅は、地球への隕石の衝突が原因だと唱えた最初の学者がアルヴァレズだそうです。彼もまた第二次世界大戦で「マンハッタン計画」に参画しました。

先に登場してもらったウィラード・リビーは、自然界に存在するであろうトリチウムをなんとかして集めて濃縮しようと考えていました。
リビーはトリチウムの研究に関わる前に、炭素14同位体による考古学への応用を考え、その成果をものにしていました。するとほかの生物学者から、生物体には水素原子が炭素以上に豊富に含まれるから、トリチウムの弱い放射能を使えば、もっと精度よく生体内での物質の能動輸送を追いかけられるのではという提案もありました。
そんな提案もあって、リビーは雨水に含まれるトリチウムを集め出すのですが…
降った直後の雨に含まれるトリチウムの放射能を測定し、半減期から、地球上のあちこちのサンプル水がいつ地上に達した水かどうかを見分けようというのです。
しかし、過去の採取年代のわかる水なんて誰が持っているというのでしょう?新聞で募集しますが集まるはずがありません。
リビーの水の年代測定は夢に終わるのでしょうか?
ところが、あったのです。採取した日のわかる古い水が!
何だと思います?
ワインですよ。ワインには、樽詰め(瓶詰?)した年が必ず刻されていますね。
あの水はその年に仕込んだ水だから、採取年でもあるわけです。
ワインに関してはまったくの素人のリビー博士が、これらのワインから自説が正しかったことを証明したのです。

このようにトリチウムの発見は、科学者に次々に新しい知見を与え、その利用法も考えられてきたわけです。
そして、その危険性もたいして大きくないということもわかりました。
トリチウムは半減期が12.3年で、9.6×10^17ベクレルものトリチウムが大気圏外で作られ、降雨によって地上に達したときには、多くても3ベクレル/ℓに減り、この中にはの核実験で生成したトリチウムが足されているらしいです。核実験がされる前には1ベクレル/ℓに満たなかったそうですから。
※1ベクレル(Bq)は放射性物質が1秒間に崩壊する原子の個数を表し、放射能そのものを表現している単位です。かつては1gのラジウムが崩壊する個数(放射能)を1キュリーと定義していたのですが、今はベクレルに統一されています。

トリチウムは崩壊(β崩壊)のエネルギーが極めて低い(0.0186MeV)し、β線(電子線)は飛距離が極めて短い(水中で0.01㎜しか届かない)のです。
ゆえにトリチウム水を生体内に取り込んでも、すぐに崩壊するか、しなくても数日で汗や尿になって体外に排出されてしまいます。
また能動輸送を追跡するために薬剤にトリチウムを化合させて生体に投与して、シンチレーションをおこない、データを取ったとしても検査が終われば速やかに代謝されてしまうようです。つまりトリチウムは生体濃縮されない放射性物質なのです。

原子炉ではしかし、かなりのトリチウムが通常運転でも発生してしまいます。
ゆえに汚染冷却水の処理には細心の注意が必要なのは自明です。
日本では軽水炉なのであまり問題になりませんが、カナダでは重水炉が使われており、高価な重水(D2O)を冷却水兼減速材に使うのでトリチウム水がかなりの確率で生成する(中性子捕獲による)のでその処理は危険です。
軽水炉でも一次冷却水には10^16ベクレル程度のトリチウムの汚染があるようです。かなり希釈しないと海には放流できませんね。

ところで福島原発の大量のタンクに収められた汚染水は、ALPSでヨウ素129、ルテニウム109、テクネチウム99、ストロンチウム90という放射性同位体が基準を越えて、これまで何度も検出されていたそうです。
東京電力や政府はそれをあいまいにして、公聴会をスルーし、住民とのコンセンサスが得れたと片付けて、さっさと汚染水を海洋放出してしまおうという魂胆です。
私は、トリチウムだけが含まれる汚染水なら海洋に放出しても構わないと考えていますけれども、このようなごまかしで、もっと汚い汚染水を闇に葬ろうとするならば、断固反対です。
大阪府も簡単に汚染水を引き受けてはいけません。