昨日は三島由紀夫の50回忌だったそうで、新聞にも特集が組まれていました。
思えば、1970年の大阪万博のお祭り騒ぎが終わってしばらくした頃だったんですね。
私は小学二年生でしたからまったく記憶にないのです。
三島が割腹自決したことは、もちろん中学生の頃には知ることになりましたけれども、その日は私などが生まれるずっと前だったのではないかとさえ思っていました。
百恵ちゃんの「潮騒」という映画がヒットしました。
そして、友和さんと結ばれたんですよね。
その原作が三島由紀夫だったと、当時、文学には縁遠かった私は知りました。
私の母親は本好きだったので、母の書棚には「潮騒」も「金閣寺」もありました。母が亡くなるまで私がそれを手に取ることはありませんでしたけれど。
なにしろ私は、本と言えば図鑑や天文、軍艦、戦闘機などの本しか開かない少女でしたからね。

新聞の特集には三島が、左派の東大生と激論を交わしたいきさつが述べられていました。
右翼の急先鋒だった三島も、左派の学生とひざを突き合わせて聞く耳を持っていたということでしょうか?
この件については様々な本で紹介されているし、三島事件の真相(?)はその場にいた人が証言してもいるし、ある程度は明らかになっているようです。
要は、自衛隊に武装蜂起を煽ったのが三島由紀夫という男だったのだと。
しかし、自衛隊は昔の軍隊ではなく、公務員の集まりにすぎませんでしたから、武器を持っていてもクーデターを起こすような精神を持ち合わせていなかったのです。
軍人は政府に従うよりも、上官に従いますけれど、公務員は政府に従います。
もしクーデターを起こすのなら、当時の学生運動家のほうが気骨があったかもしれません。

つまるところ、三島に賛同する血気はもはや日本人にはなかったということです。
それは大阪万博のお祭り騒ぎで確認できます。
「世界の国からこんにちは」の精神で、右も左もふにゃふにゃにされてしまったのですからね。

それでも、いやそれだからこそ今の日本があるのだとも言えます。
高度成長期の頂点が大阪万博だったとすると、あとはオイルショックでした。
インフレの不安が各家庭にまで及びました。
沖縄が返還され、ベトナム戦争が終結し、世の中は平和へまい進したのです。
それは日本国憲法の理想でもありました。
とはいえ、東西冷戦は深刻であり、その「マグマ」が中東・パレスチナに噴出していたのです。
当時、BCLをやっていますと、冷戦構造が中高生にも身近に感じられました。
「朝鮮中央放送」「モスクワ放送」「北京放送」「ベトナムの声」が左派の典型的なプロパガンダ放送局でした。
大出力で、西側に敗けじと国家を宣伝していたのです。
受信報告にはベリカードも簡単にくれたし、プレゼントも気前よくくれました。
「朝鮮中央放送(現ピョンヤン放送)」には、私もせっせと受信報告を出して、毎月、違ったデザインのベリカードや絵葉書をもらいました。だから私の住所は、かの国に知られていた。
そのころ、私の家の周りで不審な人物がうろうろしていたことがあり、うちのポストが荒らされたこともあった。
北の工作員が「拉致」しようと私の身辺をうかがっていたのだろうと思います。
何も知らない私は、朝鮮中央放送のアナウンサーをペンパルとして近況を書いたりして送っていたのですから、危ない話です。
横田めぐみさんは私より二つ年下です。私ぐらいの年齢の日本人がほしかったのだと思うと、背筋が凍る思いですね。
北京放送局も毎年暮れにはカレンダーを送ってくれました。
紅衛兵のバレエ舞台、人民公社の農場で働く若人、はだしの医者…伸びゆく中国が、毛沢東思想も高らかに謳われていました。
モスクワ放送も負けてはいませんでした。
日本語放送は大出力でしたので日本の民放が混信で聞こえなくなるくらいです。おそらくウラジオストックからの放送だったのでしょう。
コルホーズの成果、コムソモール(共産党青年団)、プラウダという新聞のニュースが一日何度も放送されます。
反対に西側の日本語短波放送は、宗教的なキリスト教系の放送局が多かった。
中立的な西側諸国の放送はドイチェ・べレという旧西ドイツの放送局がありましたし、BCLの間では大人気のラジオ・オーストラリアが政治的にも、宗教的にも中立だったと記憶しています。
それからもう一つ、ロンドンBBCでしょうか。
格調高い、クィーンズ・イングリッシュは英語の勉強にもなりました。
不思議だったのは、あんなに関係の深いアメリカが日本に対して日本語放送をやってくれなかったことです。
たしかにKGEIというアメリカの放送が日本語放送をしてきれていましたが、これはキリスト教の放送局でした。
アメリカの国営放送「Voice of America」はかなり強力に入感しており、アメリカンな英語(米語)に耳を鳴らすには良かったと思います。
陽気な米語のDJならFENでしたね。「Far East Network」の頭文字が局名の米軍放送です。
駐留米軍の軍人向けの放送ですから、日本人に聞かせるものではありませんが、中波で冬になると大阪でも良く聞こえていました。
ウルフマン・ジャックというとても声に特徴のあるDJが人気でしたね。

三島事件で日本の戦後思想は終わったのかもしれません。
あとは左翼の残党による、よど号ハイジャック事件や浅間山荘事件が残り火のように起きて、消えてしまいました。

もちろん、戦争被害者の戦争は終わってはいません。
シベリア抑留や太平洋~インパールの激戦地で亡くなった兵士たち。
ヒロシマ・ナガサキ、そして沖縄は永遠に戦争の悲惨さを問い続けることでしょう。