私が大学生の頃、吉本隆明の著作が左翼系の学生の間で読まれていた。
この思想家の名を知らない人はいないだろうが、その中身を知っている人がどれだけいただろうか?
私などは、吉本ばななの父親であること程度にしか認識がなかった。

丸山眞男を批判したものなどを読んだことがあるが、一方的で難解な論調だったことを覚えている。
あの頃の私でさえ、吉本隆明は古いタイプの人間なんだと思った次第である。
経歴を見れば、戦前、戦中派であり、おもしろいことに理系の、それも私と同じ化学(彼は電気化学)を専攻したそうだ。
国立の工科大学「東京工大」を出て、東洋インキ製造という大手インキメーカーに就職されていたそうだ。
そこで組合活動に入れ込んで、ついには退職させられるのだが…
大学紛争のときには学生側に立って、座り込みをやり警察に連行されるなど、ゲバ棒世代真っただ中の人だった。
彼は、戦争当時は軍国青年であり、化学系の工業高校の生徒だったようで兵役は免れていたようなことをどこかで書いていたと思う。
それが戦後は、まったくコペルニクス的転回を見せて左派に転じたのである。
確かにそういう人はたくさんいた。
マルクスを批判し、スターリニズムを批判し、しかし科学的社会主義こそは自由資本主義に勝つ思想であるということをこの理系の思想家は強く思っていたらしい。
私も近い考えを持つが、べつに吉本隆明に影響されたわけではない、マルクス主義の欺瞞や盲点に気づけば当然の成り行きだろう。
とにかく吉本隆明は弁が立つらしく、筆致が鋭利で、彼の批判は相手を完膚なきまでに叩かないと済まないらしい。
浅田彰などは、そうとう手ひどく批判されていたと思う。

私は思想家の資質として、穏健であることを挙げる。
攻撃的な、吉本隆明や花田清輝は「レーニン的」で好きではない。
頭が切れるのはよくわかるが、それではアジテーター(扇動家)にはなれても、他人に熟慮を促す思想家にはなれないと思う。
マスコミも面白いから、吉本ばななの親父だからと吉本隆明を取り上げ、露出させた時期があった。
彼もまた、サブカルチャーに親和的な意見を述べ、自分の思想に導き、オタクにとって「話の分かる先生」みたいな立場を取ったように見えた。
アニメ「ヱヴァンゲリヲン」の「セカイ系」ファンの支持を得たのは吉本隆明だった。
戦中派であり、戦後左翼思想に傾斜し、バブル期にはサブカルブームに乗っかり、その思想に一貫性を欠く思想家なのだが、私はそれを批判することが出来ない。
思想家が「ブレて」はいけないという理由はないからだ。
思想には「修正主義」というものがつきまとう。
共産主義は「修正」しまくられてこんにちも脈々と受け継がれているではないか?
ポストモダンなどもそう。

吉本隆明の原発に対する考え方は理系特有の「将来は技術で克服できる」という楽観論の乗っかっている。
現在の原発は道半ばなのだから、ある程度の未熟な点は仕方がないというのだ。
他の技術ならそれでも許されるだろうが、こと核開発となると、その事故は未曽有のものになることを棚上げにしてしまっている。
チェルノブイリ原発事故を経験してもなお、彼はその思想を変えようとしなかった。
彼は「原発推進派ではないが、反原発には反対だ」という意味不明の論調だったはずだ。
東日本大震災で福島の原発が危機に瀕したときにも、その考えは変えていなかったと思う。それからすぐに亡くなった。

要するに「反対運動」というものの欺瞞を言いたかったのだろう。
やみくもに「何でも反対」という思想は、彼が経験した戦時下、戦後の学生運動などで味わった無味乾燥から批判したのではなかろうか?
オウム真理教にしても、サリン事件以前には、吉本隆明は麻原彰晃を褒めちぎっていたぐらいだ。
吉本の仏教思想は浅薄だという宗教家もいるくらいで、そんな彼が麻原を崇拝するのだからオウム真理教信者の一人にすぎなかったのではなかろうか?
サリン事件のあと、さすがにオウム真理教に理解を示すような言論はしなかったが、麻原の超人的威光を取り下げたようには見えなかった。

とはいえ、賛同できる活動もある。
「新しい歴史教科書を作る会」への批判だとか、かつての天皇制による軍国主義は、ダライ・ラマを崇拝するチベット仏教と変わりはしないという考え方だ。

どうやら吉本隆明のなかには親鸞の思想が流れているようだ。
悪人正機説である。
オウム真理教を推した吉本隆明にそれが見て取れる。
より悪い人間ほど救われるというものだ。
曲解も甚だしい。

熱心な宗教家からは梅原猛や吉本隆明は「異端」だと評される。
仏典の解釈は保守的な立場がほとんどで、勝手な解釈は許されないとされているのに、梅原や吉本は新説を開陳し、今までの考え方は間違いであり、それでは釈迦や親鸞が浮かばれないとまで言うのだ。
そのことに私は深入りするほど知識を持ち合わせていないが、論争の種には事欠かない人々なのである。
京都では、そのことがとても身近に感じられるのだった。
ちょっとした京都の文化人の会合でも、僧侶なども加わっていたりするわけで、梅原や吉本の名を出すのも憚られるくらいなのだ。
真宗の僧侶は特に嫌がる。
「悪人ほど救われる」から「悪いことは進んでしなさい」なんていう宗教がどこにあるのだ?

吉本隆明が亡くなってくれて幸いである。
思想家の老害だった。
そういう人がまだいるのだけれど。
呉智英(くれともひで)とか。