江戸末期の松前藩において、アイヌの人々の間に天然痘が流行したことがあった。
当時は、天然痘に罹患すると、アイヌの人々は山に入ってうつさないようにしたと言われている。
罹患者を村に残し、うつっていない者たちが山に逃げたとも言われていて、詳しいことはわからない。
どうやら、天然痘はロシアから入ってきたようだ。
ジェンナーの業績が知られていたのか、松前藩に江戸から医者が派遣され、種痘を接種して蔓延を防いだという記録や絵が残されている。
おそらく牛痘を人に接種したのだろう。
牛痘は牛の伝染病で、人間の天然痘に似ているが、牛痘は人にうつらないか、うつっても軽症で済むそうだ。
そしてなによりも牛痘を種痘として人に接種すると天然痘が治癒することが19世紀にはわかっていたのである。
だからこそ、極東の松前藩で、日本人医師の手でアイヌに種痘接種が行われていた。
この事実に、コロナ禍の私たちは驚かされる。

https://style.nikkei.com/article/DGXKZO99342880W6A400C1BC8000

天然痘はロシアから入ったが、その予防接種もロシアから学んだらしい。
皮肉なことだ。

昨年の毎日新聞にもこのことが触れられていた。
https://mainichi.jp/articles/20201111/ddm/001/070/077000c

また、アイヌ絵「種痘図」はオムスク造形美術館にあるらしい(論文12ページ目)こともうかがえる。
種痘の集団接種を描いた、貴重な資料である。

さて、われわれはこの絵図から何を学べばよいのだろうか?