いつだったか『石狩挽歌』を当ブログでとりあげたことがあった。
北原ミレイの代表曲だ。
この曲の歌詞は言うまでもないが、なかにし礼の作詞である。
昨年末にお亡くなりになった、なかにし氏のご両親が小樽の出身で、戦前に一家は満州に渡り、お酒で商売を成功させていた。氏は、だから満州生まれだと自伝に書かれている。
『石狩挽歌』は、氏のルーツへの思慕、石狩と小樽ではかなり違うと思うが、北海道という特殊性、なかんずくアイヌ文化とニシン御殿を歌詞にちりばめることで成立した「蜃気楼」のような作品なのだと私は思う。

そして北原ミレイのパンチの利いた声量が、この凄まじいまでの哀歌を「挽歌」にまで引き上げた。
もはや「ニシン」は来ないのである。
あの宴(うたげ)のような時代は、はるか昔に、沖の笠戸丸のように遠ざかってしまった…

北原ミレイにはもう一つ、忘れてはならない名曲がある。
デビュー曲となった『ざんげの値打ちもない』である。
阿久悠の作詞で、長い物語になっていて、心打たれる歌になっている。
ある少女が「女」になっていき、男に捨てられ、刃傷沙汰になり、ムショ暮らしを余儀なくされ、その半生を振り返る女の「独白」である。
こういうのを「吐露」というのだ。
山崎ハコもカヴァーしているが、北原とはまた違った趣があり、比較して聴いてみられるとよい。

昭和歌謡には、味わい深い作品が多い。
「噛めば噛むほど」というような、何度聴いても、聴くときの自分の心の状態によって印象が変わるのである。
「やっと十四になったころ…愛というのじゃないけれど わたしは抱かれてみたかった」
この詞に、同じ年齢で経験した私にはグッとくるのである。
十四歳には、心に魔物が住んでいるのだ。
心と体がアンバランスで、どうしようもないことをやらかす年齢なのだ。
現在で言うところの「中二病」である。

北原ミレイの歌にはまだまだ良いものがあるのだが、またいずれ。