NHK朝ドラ『おかえりモネ』で、夏木マリが扮する「新田さやか」が毎朝、唱える「貞山政宗公遺訓」が気になったので調べてみた。※「貞山」は伊達政宗の法名。

「遺訓」とあるのは、政宗が遺言として、後継や臣下に戒め、以後「伊達家の家訓」として伝わっているらしいが、史実かどうかは疑わしいらしい。(水戸黄門の遺訓とも伝わっているなど)

一、仁に過ぐれば弱くなる
一、義に過ぐれば固くなる
一、礼に過ぐればへつらいとなる
一、智に過ぐれば嘘を吐(つ)く
一、信に過ぐれば損をする


儒教が教える徳性としての「仁義礼智信」を「五常(ごじょう)」と言うので「五常訓」とも呼ばれている。

「遺訓」が言っていることは、私たち大人にとって、いたって明解である。

『論語』の「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」の教えを「五常」に展開したものだ。

「仁」は情愛、つまり情(なさ)けである。情けをかけすぎると盲目になり、情けを乞いすぎると人は性根(しょうね)が弱くなると教えている。
「義」は義理である。つまり義務や約束である。義理を頑(かたく)なに通そうとすると無理が生じ、自分も堅苦しく、その害は周囲の人間関係にも及ぶと教える。
「礼」は相手を敬う気持ちである。失してはなお良くないが、過ぎても「こびへつらい」が出て真心がなくなってしまうと教える。
「智」は智慧である。智が勝ち、賢(さか)しいと、相手を見くびり、都合のいい嘘を平気でつくようになると教える。
「信」は信用である。しかし人を信じすぎては、詐術にはまりやすく、また誤信は真実を見誤り、損害を被(こうむ)ると教える。

ざっとこんな解釈になろうか?

もちろん、人の道として「五常」を尊ぶことが前提である。しかしそれに過ぎては及ばないことと同じだと説くのだった。

何事もバランス感覚が大事だと伊達政宗が言い遺したのだと思いたい。
いい家訓である。