「東京2020+1」での日本選手のメダルラッシュが止まりません。
始まってしまえば、日本人選手の活躍で新コロ騒ぎへの不満も散らせるだろうと、政府の目論見(もくろみ)通りになりそうです。
この現象、「東京1964」でも有りはしなかったか?
60年安保闘争による学生運動の騒ぎを世論から逸(そ)らすために、「東京1964五輪」は政治利用されました。
「あのデジャビュが私の目の前で起こっている」と私の先輩(72歳)がいみじくも指摘されていました。

私はそのとき、まだ二歳のよちよち歩きでしたから、まったく記憶にないのです。

なるほど、そうかもしれない。

そうならないために、私たちはメダルラッシュの感動とは切り離して、現実を監視し続けなければなりません。
新コロは去っていない。
さらにウィルスはアップデートして、強力になっている。

ワクチンは、そろそろ陳腐化してくるはずです。新コロのほうが一枚も二枚も上手であることを肝に銘じなければなりません。