杖道(じょうどう)とは、日本特有の「杖(じょう、つえ)」を使う武道で、中国の「棒術」を真似たものではないかと考えられる。ただ中国では「棍術」というらしいが、『水滸伝』では「棒術」とはっきり書かれているし、武芸十八般の一つでもある。
棒術の「禁軍師範」の王進、その弟子「九紋龍史進(くもんりゅうししん)」という義賊や「豹子頭林冲(ひょうしとうりんちゅう)」も棒術の名手だった。

棒術では六尺棒(約180cm)を使うが、日本では「槍術(そうじゅつ)」に進化し、一方で四尺程度の「杖」を使う「杖術」に発展するのだった。
ゆえに「棒術」は衰退してしまった感がある。

明治以後、神道夢想流が「杖道」を確立し、江戸期には、罪人捕縛の術でしかなかった棒術が武道として、また警察官の心得として実用の域に達したようである。
江戸時代には抜刀しない護身術として、隠居した高齢の武士階級に「杖術」は存在したらしい。
「杖術」を「杖道」にまで高めたのは神道夢想流だった。
坂口安吾が『青春論』で触れていたが、宮本武蔵が夢想権之助と試合して夢想を負かしたとき、夢想は「杖術」こそ剣術より優れていると考えて精進し武蔵に再び挑んだという伝説があるらしい。実際、武蔵が巌流島で佐々木小次郎に勝った武器は、櫓(ろ)を自ら削って作った木刀というか「棍棒」であった。
この夢想権之助こそが、神道夢想流の創始者である。
杖道

一方で、植芝盛平が和歌山で興した「合気道」にも「杖術」が取り入れられた。
現在「合気道の杖術」が広く学ばれ、スポーツとしても楽しまれている。
流行した原因として、「杖」一本で、ほかに防具などを要しない手軽さ、剣術よりも長さで優位に立てるということではなかったか?
※防具を要しないのは、剣道のように本気で打ち込まなず、技を掛けないのがルールだからである。つまり「空手」の「型」同様、演武の正確さ、美しさを競うもので、試合も「寸止め」である。

娯楽時代劇の『水戸黄門』で「ご老公(光圀)」が竹の杖をついているが、あの杖で見事に悪漢と闘う姿はまさに「杖術」である。
抜刀せずとも、ご老体でも十二分に戦える強さが杖術にはあるのだった。

「合気杖術」には「三十一」の「型」があるそうだ。
そのうちの「九」まであるいは「十三」まで、「十七」までを取り出して練習する方法がある。
また、甲野善紀の「古武道」から抽出された「杖術」もある。
もちろん、神道夢想流杖道のしっかりした「型」もある。
共通している部分もあり、いずれもYoutubeで学ぶことができる。
※「合気杖術」には「座り技」がある。座ったまま杖を使うのである。

江戸時代には捕縛法として「杖」が実用されていたので、今も警官が捕縛術のひとつとして「警棒術・警杖術」なるものが存在する。
警杖術は四尺の樫の丸棒(杖)を使って、容疑者を仰向け倒し、腕に杖を絡ませて捩じ上げ、体を返して地面に伏せさせ、手錠をかけるという動作だ。
「さすまた」や「袖がらみ」、「突く棒」などの捕り物でおなじみの武具よりも軽快で、汎用性のある「杖」は、相手を傷つけずに「お縄」にできるので重宝である。
警棒では「短い」ので、体格差のある場合、四尺棒を使えば、容易に捕縛できるというものだ。

一般に「杖」は白樫の丸棒の表面を滑らかに磨いてあり、手を滑らすようにして使うのがコツである。
また、相手が刃物を持っている場合、その刃渡りよりも「杖」が長い分、優位性を発揮させるよう、杖を長く持つのである。
持ち手(杖の後端)と、支えの手(杖の中ほど)があり、支えの手は軽く杖を握ってスライドさせるように使う。
足の運びが大切で、流れるように杖を使うには、確かな体重移動、つまり足の運びである。
体幹がぶれないように、杖を振り、回す、持ち替える、突く、払う、打つ、合わせる(受ける)の型を体に覚えさせる。
最初はゆっくり型をつけていくけれど、実戦では「速さ」が物を言う。
目にも止まらない杖の動きが、相手に予想外の恐怖を与えるのだった。

杖術の極意を一つ挙げると、杖の長さを相手に見せないような構え方をするのである。
相手の面(めん)付近に杖を繰り出して突き出すと、その唐突さにひるむはずだ。
長い分、相手に懐(ふところ)へ入られると弱いが、実は、杖には刃がないので上下を素早く持ち替えて、コンパクトに使うことでそれを防ぐことができる。

四尺(約128cm)で八分(2.4cm)径の白樫棒(約500g)は、たいていの凶器に勝てる計算になる。
携帯するには、いささか長いが…

じゃあ、素振りに行ってきます。