私の書いてきたものをふり返るのも一興かと思い、ちょいとやってみます。
私が物を書くときに、材料にするのは、①自分の経験と②文献から得た知識、そして③その日私が目にしたか、聞いたことです。

特に③の事は「起爆剤」とか「インスピレーション」と呼ばれるものですかね。
だから、ほんの少しでいいんです。
「和歌山のドンファンの話」とか、「しょこたんの胸の谷間」とか、「少女誘拐事件」などです。
「いったい何があったんだ?」、「いったいどうしちまったんだ?」というモヤモヤ感って言うんですかね。
「なんか、朝からそそるなぁ」という性欲とかね。「この男に後ろから突かれたい」と思うことありませんかね?
あとね、昭和歌謡の歌詞がインスピレーションになっていますね。けっこう。

①は、もう、私も六十近いですからね、十代や二十代の若造とは経験の数が違いますよ。
両手で足りないですよ。
お金も、もらいました。縛られもしました。内緒にしていること、たくさんあります。
外国の人もいました。殺されるかと思いました。二度と嫌です。
そんなことはどうでもいいですが、お尻の穴は「処女のまま」であることだけが真実です。

②は、創作されている人ならみんなおやりになっていることでしょう?
これは最低限、当たらないと、創作者としてだめです。インプットが貧弱だとアウトプットも貧弱になります。
もっとも、想像力豊かで、経験を超えるようなすばらしい創作者もいます。天才ですね。
私には無理です。
古典や、時代に磨かれた文学、私よりも年上の方が書いた文学がいいです。
私より若い方のものは、それはライバルですから、参考には致しません。こんなおばさんにもプライドというものがありますからね。

社会の表のことは、良く調べたらわかることなので、あまり想像で書かないことにしています。
しかしながら裏社会のことは、明らかにされていないことが多いので、酒場で仕入れます。
そういう人が集まる場所って言うのがあるのよ。
AV(アダルトビデオ)の関係者があつまる酒場ってのがあって、そこで知り合った若い監督さんに、何度かシナリオを提供したことがありました。
そしたら撮影現場に連れて行ってもらって、年端も行かない女の子が「本番」の途中で泣いちゃってとか、私ぐらいのおばさんが「潮吹き」をやらかして、びっくりしたこととかございました。
「ロリコン」と「熟女」はとっても需要があるらしいことも実感しましたし、女優さんの単価が最近下がってきていることも聞きました。

そう言う経験も創作に入れさせてもらってます。

ここ十数年でその発達が、とても注目に値するのは「出会い系サイト」でしょう。
「援交」が少女だけでなく「主婦」にまで広がっていることの衝撃でした。
私だって登録しちゃいましたよ。今はやってませんよ。もう年ですから。
でも女、五十くらいは「引く手あまた」で「別イチ」(ホテル代別で1万円報酬)でも、お断りしなければならないくらいにメールが来ました。

今はコロナでこういう遊びをする人も少ないでしょうね。風俗がさっぱりらしいですから。

というわけで、私の創作は、こんな材料でできています。
あまりにも下品なために、みなさんのような崇高な文学をめざせません。
私が中学の時に読書感想文を書いた『エロ事師たち』(野坂昭如)の世界に憧れていたのは事実です。
そういう需要があるからには供給しなければならないと思った次第です。

つぎに官能小説に限らないですが、書き手の視点というのがあります。
主観というか物語の人称代名詞が「私」、「おれ」、「ぼく」と一人称の場合です。
告白体ですね。
それからその主体が「女」、「男」で別れます。「男目線」とか「女目線」ですね。
すると、性的な描写も男なら下品な言い方が様になるし、女なら「おちんちん」なんていう可愛い言い方が好ましいです。
もう一つの描き方が「第三者目線」であります。
この場合、男女は名前で書かれます。「洋一」とか「由美子」とかです。
もちろん彼らの会話の中では「おれ」だの「あたし」だのになるのは当然です。
家族関係や会社関係などの相関図も大事ですね。
上下関係もありますからね。

私は、小説や文学は、ノンフィクションでない限り、壮大なウソであると思っています。
そのウソは「本当」のようでなければ、読者はついてこないですね。
小説の場合、歴史的な事実や背景を盛り込んで、真実味を与えます。
そこで活躍するのが②の文献なんです。私が本を読むのはもっぱらこのためです。

『同じ穴のむじな』シリーズは私の経験だけで書いています。
『アンコ椿は恋の花』シリーズは文献を頼りに書いています。
『古傷』シリーズは、友人の話を元に書いています。

で、結論から言うと、すべてフィクションです。
「玉藻荘」というアパートは、私が幼少のころ、通っていた銭湯の近所にあったアパートで、漢字が読めなかった私が母に「なんて書いてあるの?」と尋ねた思い出が頭にこびりついていたからです。
ゆえに私の創作には「玉藻荘」がたびたび出てきますが、それぞれはまったく連絡がない。

思春期からこっち、私は、昭和史や戦記物を好んで読んでいたからか、その時代背景のものが多くなりやすいです。

SFやハードボイルドにも挑戦していますが、いまいち、バカっぽいものしか書けないのがはがゆいです。
『さびしさごっこ』は、そういう試作品でありました。
「北朝鮮もの」も問題作としていくつか書いております。
私の闘えるフィールドはエロと科学でありたいと思って、これからも書いていきたいと思っております。

とりとめのない内容で、すみませんね。