詩人の唯仁(ゆいじん)さんに「ニクロム線は金属なのにどうして電気抵抗が高いのか?」と訊かれました。
なぜなら彼は「金属は良導体である」ということを知っていて、ニクロム線もそうなのに電熱器に使われるのか不思議に思っていたそうだ。
良い質問だと思う。

「唯仁さんは、電気抵抗のことを知ってるんや」
「ぼくね、中学生の時にラジオなんか組み立てていたんだよ」
「へぇ。意外やね」
まあ、男の子ならそれくらいしていても不思議ではないのだけれど、唯仁さんときたら、風やら、雲やらを文字に変える魔術師なので、電子工作とは縁のない特別な生い立ちなのだろうと、私が勝手に思っていただけだった。

「電気抵抗が高いと、電気を通すと熱を発するわけだけど、その熱は金属の中を自由に行き来している自由電子が熱を発しているとされるわ」
私はジュール熱のことを、そのように説明した。
「摩擦熱のような?」
「電気抵抗は電子の通りにくさだから、摩擦熱が発生すると考えてもいいわ」
「金属でも、そういうことがあるんだね」
「ニクロム線はニッケルとクロムという二種類の金属の合金なんよ。合金の中には、単品の金属に比べて自由電子の通りが悪くなるものもあるの」
「金属ってみんな電気をよく通すのかい?」
「するどいとこ突いてくるやん。唯仁がさっき『金属は良導体』って言うたけど、金属によって結構ばらつきがあるみたい。水銀なんか抵抗率が高い金属よ。そうは言っても絶縁体と比べたら良導体と言うほかないわ」
「するとニッケルとかクロムは電気抵抗が大きいのだね?」
「ニッケルとクロム、それぞれは良く電気を通しますね。合金になるとこれが通しにくくなるんだなぁ」
「不思議だなぁ」
詩人は空を仰いでそうつぶやいた。

考えれば考えるほど、金属は良導体と定義しつつ、そうでない使われ方をしている。
タングステンフィラメントだって、タングステン自体は導体の内では抵抗が高いが、電気をよく通すし、あきらかに良導体である。しかし断面積を小さくした極細線材にすると(フィラメントとはそういうもの)、電気抵抗は大きくなり、電球を輝かせるのだ。
エジソンが電球のフィラメントに用いた京都府八幡市の竹の炭化物も炭素をグラファイト化したもので導体にしてあるが、細くして抵抗値を高めて輝かせている。
電球と言う真空密閉に加工したのは、空気中の酸素によって酸化されて燃え尽きないようにしているのだった。

ここからは私の想像だが、ニッケルとクロムの合金が金属であるのに、とても電気抵抗(抵抗率)が高いのは、ニッケルとクロムの電子軌道によるものではないかと考えている。
ニッケル(Ni)は遷移元素の鉄族の同列金属で鉄よりやや重い。K殻の電子が2、L殻の電子が8、M殻の電子が16、N殻の電子が2である。
クロム(Cr)は遷移元素のクロム族の金属である。鉄よりやや軽いK,L殻の電子配置はニッケルと変わらないが、M殻の電子が13、N殻の電子が1である。
このように遷移元素ではM殻の電子が全部埋まらないうちに、早々とN殻の電子軌道に次の電子が入って、最外殻電子となるのである。
M殻のd軌道の最外のエネルギー準位とN殻のf軌道の最低エネルギー準位が逆転するからそうなるのである。
自然の摂理で、エネルギー準位の低い方の軌道に先に電子が充填されるのだった。

以上の知見は金属単体に言えることで、実は合金という相状態は金属結合でありながら混合物ではないという特殊な相らしい。
自由電子が各金属原子の最外殻を移動するのは同種の金属でもっとも動きやすいのであるが、異種の金属が金属結合に混じると動きにくくなる(電気抵抗になる)ことが多いのである。
実は金属原子はパチンコ玉のように最密充填で整然と並んでおり、最外殻電子軌道だけで接していると想像される。
叩けば展性を示すのは、金属原子をパチンコ玉に見立てて何層にも並べた状態を思い浮かべて、上から押しつけると、横に拡がる妨げになるものがなければ、玉は互いに滑って層が薄くなって平坦になることに近い(金箔の製造例)。
ここに異種の原子がはまり込んでいっても展性は示すが、純物質の場合よりはいびつになり、最外殻電子もそれぞれ異なるから金属結合も共有結合的になり、電子の移動が制限されるだろう。
これが合金は電気を通しにくくなるという推論だ。もちろん単体でも展性の乏しい金属もある(イリジウムなど)。

展性が制限されると金属は脆くなり、破断しやすくなる。
たとえば、鉄に炭素を加える冶金では刃物鋼として硬いものになるが、塑性は損なわれ、脆くなるのだった。
一部の合金が加工しにくくなるのは不均質な金属結合を含んでしまうからではなかろうか。

自由電子が金属結合を作っているという説明は十分ではなく、やはり「結合」というからには電子軌道の重なりなど共有結合のπ結合に当たるようなことが起こっていると考えた方がよい。
グラファイト(炭素)が導体であるという原理も、共鳴によるπ電子の作用が働いでいるからだ。

アマチュア無線の試験で「自由電子」を学ぶが、どうやら化学結合の世界ではいささか事情が異なるようだ。

「唯仁さん、これはとっても難しい問題かもしれんわ」
「そのようだね」
彼は、夕焼けを浴びて、遠くを見つめていた。
もう、ニクロム線のことなど、どうでもいいらしい。