寅年である。私は年女だ。
1962年生まれが2022年を迎えた。目出度いのだろうか?

よくわからん『紅白歌合戦』を観て年が明けた。

Youtubeで懐かしい昭和歌謡を追ってみた。



奥村チヨだ。
『恋の奴隷』は、なかにし礼の作詞で、今のご時世なら、とんでもない内容である。女性蔑視も甚だしいとお叱りを受けそうだ。
それでもヒットしたのだから、当時は「ひどい歌詞」だという人は少なかったのだろう。女性も「そうありたい」と願っていたのかもしれない。ゆえに、今も根強く男尊女卑の文化が日本に残っているのだった。
よく似た歌に荒木とよひさ作詞の『時の流れに身をまかせ』(テレサ・テン)がある。


ところで、千家和也作詞の奥村チヨ『終着駅』は格調高い、文学的な玄人の仕事だと思う。この人の作詞で当時の「毛の生えかけた」青少年の心をざわつかせたのが、若干十五歳の山口百恵に歌わせた『ひと夏の経験』だ。


「やめてくれぇ!百恵ちゃんがそんなことを言っちゃだめだぁ」と、心で叫んだ童貞は多かったはずだ。
そうだな、今なら芦田愛菜ちゃんが同じことを言ったらどうだ?ざわつく人が多いのではないだろうか?


三善英史の『雨』も千家和也の作詞で、どこか『終着駅』に似ている。やはり上手い詞だと思う。三善のこのジャケットの写真はフィギュアスケートの羽生結弦選手に似ていると思う。関係ないが。

朱里エイコの美脚を覚えている人はもう少ないかもしれない。そして彼女はもういない。

山上路夫の作詞であるが、よく似た歌詞で千家和也作詞の『逃避行』(麻生よう子)がある。



どちらも一人旅立つ女の姿を歌う。
男は勝手なものだ。そしていいかげんなものだ。

ご当地ソングで森進一のヒット曲『港町ブルース』は歌詞を一般から募集したらしい。それを、なかにし礼が補い整えたという。
私は、森の歌唱も好きだが、藤圭子のパンチのある歌唱も好きだ。



その藤圭子も、もういない。