母の遺した古い本の中に荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の選んだ『一茶俳句集』(岩波文庫)があり、それをぱらぱらめくっている。
ハトロン紙に包まれたこの文庫は、もう手に入らないだろう。もっとも小林一茶の句に触れたければ、いくらでも本はあるはずで、俳人井泉水が選んでいるというところに希少価値があるのである。

井泉水は「自由律」の俳人の第一人者であり、のちの尾崎放哉(おざきほうさい)を育てた俳人でもある。

ところで一茶である。

今日は朝から寒く雪のちらつく日だった。大寒というではないか。
こういうときに思うのが、一茶の句。

むまそうな雪がふうはりふはりかな

雪を見ると、口に入れたくなる衝動に駆られるのは一茶だけではない。私たちだってそうだ。
この句は一茶の句集に、何度か登場し、その都度、表現が異なっていると井泉水が指摘する。
推敲したのか、降雪を見て再び俳味を感じて詠んだのかわからない。

大根(だいこ)引き 大根で道を教えけり

これもまた一茶の冬の句。
『俳風柳多留』(柄井川柳:からいせんりゅう)にも似た句「ひんぬいた大根で道を教えられ」があって、そちらのほうが先だとされる。柄井の句は諧謔であり、一茶の句はそこまでふざけてはいないと言うべきか?川柳と俳句の違いを述べるのは難しい。

ところで、冬の大根は格別である。
漬けてよし、おろしてよし、煮てよしと食卓の準主役も務めて文句なしの名わき役である。

「大根おろし」を「みぞれ」に見立てる料理だってある。
「たくわん」を煮てしまう京都人である。その名も「贅沢煮」だという。
京都の名物「鶏の水炊き」には「大根おろし」が欠かせない。

「丸大根」は別名「聖護院大根」とも言うが、これでつくる「ぶり大根」は格別うまい。
もともとは、よその長い大根だったのを、京都で植えたら次第に丸くなってしまったとか。そんないわれのある「丸大根」だが、長い大根とは食感がまったく異なる。とにかくやわらかく、均質で筋張らず、煮物に最適なのである。
「丸大根」では道を教えられないなぁと思った次第。