あたしが小学生一年生ぐらいのころ「シロ」というスーパーマーケットが京阪電車大和田駅の前にできたんだ。
その後、しばらくして近所に「ダイエー」ができてつぶれた。
シロは現在のジャスコの一部になったらしい。

スーパーマーケットというものが珍しくって、よく母に連れて行ってもらった。
品物がいっぱい並んでいて、ほしいものを黄色いかごにぽんぽん入れていくんだよ。
ほんで、レジとかいうお金を払う場所に行って清算するの。
「便利やねぇ」
母はそう笑っていた。
シロの地階にはパルナスがあって、ピロシキを母と二人で初めて食べた。
当時めずらしかった「電子レンジ」で温めてくれるんだ。

パーラーもあって、夏にはメロンシャーベットをご馳走になった。
母は買い食いが好きなのだ。
「なおこ、お口」
いつも口がだらしなく汚れるあたし。
母はやさしくハンカチで拭いてくれる。

それまで「いちば」(つまり公設市場)しかしらなかったあたしには、スーパーマーケット画期的なシステムに映ったよ。
「なんちゅうてもスーパーやもん」
あたしの鼻息は荒かった。

レシートなんてものがお金を払うともらえるんだよ。
バカみたいなことに驚いていたっけ。
「いちば」じゃ、天井からぶらさがった「ざる」にお金が入っていて、そっからお釣りとかもらってたからねぇ。

当時、シロもダイエーもレジ袋ってのはなくって、紙袋だった。
室蘭で「サミット袋」って言ってるやつだろうな。たぶん。

公設市場では、魚屋のおっちゃんとかが、つぶれた声で「いらっしゃい、いらっしゃい。安いよ。安いよ」と何度もがなりたててた。
味噌屋には樽(たる)に味噌が山のように盛られ、しゃもじが突き刺さっていた。
つまり、量り売りなんだよ。
豆腐屋には、お風呂みたいなタイル張りの水槽があって、その中にお豆腐が沈んでるの。
「おから」がたこ焼きのフネみたいなヘギでできた皿にソフトボール大に丸められて二個乗っかってた。

肉屋にはコロッケが必ず揚げたてで売ってて、いつも買ってもらってた。
合い挽きミンチは牛・ブタの比率を言えばその通りに挽いて作ってくれるの。

乾物屋の兄さんがスケベで、若かった母に抱きつくのが許せなかった。
いつもくちゃくちゃ、昆布飴を噛んでやがった。

八百屋で、でこぼこのトマトを買ってもらって、市場の裏の水道で洗ってかぶりついたのも懐かしい。
夏の日差しがまぶしく、それを軒先でさえぎりながらトマトを食べるの。
服を汁でべちゃべちゃにしちゃってね。
でも母は、怒るでもなく「なおこ、おいしい?」って聞くの。
あの母は、もういない・・・(ごめん、泣けてきた)

公設市場とスーパーマーケットどっちがいいかって聞かれたら、今なら公設市場と答えるかもね。
今度、あたしに抱きついてきたら、キスを仕返してやれるくらいの余裕もできたし。

もうそんな、人の匂いのする場所はないんだろうな。

みんな汗まみれの毎日が、そこにあったんだ。

さ、元気出そう!