あたしの父は、生前、周囲から俳優の殿山泰司(とのやまたいじ)に似ていると、よく言われていた。
殿山さんも、もう生きていない人だけど。
写真を見ればなるほどと思う。
目のあたりの、どこを見て何を考えているのかわからないところが似ているといえば似ている。
晩年、毛が薄くなっていたから、なおさらそのように見えたのだろう。

叔父は、父の弟だけれど、ぜんぜん似ていなかった。
目は大きかったし、背も高かった。
その高い背が災いして、高圧電線に触れてあえなく死んでしまったのだった。
電気とは恐ろしいものだと思ったわ。

父のことをもう少し思い出してみよう。
職業は前に書いたし、その内容はあたしも詳しくないので想像するにも材料が乏しい。
今なら「やばい」仕事の一種に数えられるかもしれない。

家での父は、あたしにやさしかった。
そして、よくしゃべった。
母とよりも、あたしとよく話してくれたように思う。
だいたいが、たわいのない冗談だったけれど、落語のネタも多かった。
それに映画の話。
父は趣味の少ない人で、映画と読書以外にあたしは楽しんでいるのを知らない。
反対には、お花や園芸、推理小説、油絵、洋裁、料理とたくさんの趣味を持っていたわ。
あたしの子供の頃の服なんか、みんな母さんの手製だったよ。

父の映画の嗜好は、戦争ものとか西部劇、スパイもの、任侠ものがほとんどで、あまったっるいロマンスものは見なかった。
父曰く、人前で涙を見せたくないからだそうだ。
涙腺がゆるいのはあたしにも遺伝しているな。

「男はつらいよ」は、でも、よく見てはったね。
おそらく、全部見てたんじゃないかな。

映画を見て帰ってくるとね、一人娘のあたしに、そのあらすじを話したがるのよ。
母が、あんまり聞いてくれないみたいだったから。

あたしは、ご飯食べながら聞き役に徹するのね。
父は、演じるのが上手だから、映画を見た気分にさせる話術を心得ていたな。
そうそう、無声映画の弁士みたいにね。
落語が上手だったのも、影響していたのかもしれない。

食後のコーヒーを飲んでるときも、父は映画の俳優になりきっていた。
ヤクザもんなんか、困ったものだったわ。
高倉健になりきって啖呵をきるんだから・・・

渥美清のマネも上手だったな。
「おい、さくら!」って、すっとんきょうに始まるのよ。
前田吟の「にいさん、ちょっと待ってくださいよ」とか、タコ社長の「もう、やってらんねぇや、勝手にしやがれってんだ!」とか、「なんだコノヤロー!こんなとこ二度と帰ってくるもんか」とか。
関西弁の父が、べらんめーになるのはおもしろかったよ。

もしかしたら、父は俳優になりたかったのかもしれない。
だったら、殿山泰司ぐらいにはなれたかもしれないのにね。
(殿山さん、ゴメンネ)


父は、タバコをくゆらして、コーヒーとダルマのロックを飲むのが日課だったみたい。
その意味では、おしゃれというかイカシてたわけで。
黙って、文庫本を開いて、目を細めて活字を追っていたのを覚えている。

あたしと父には京阪大和田駅の近くに行きつけの喫茶店があった。
そこで、ジャズを聴きながら、コーヒーを覚えたあたし。
中学一年生だった。
叔父ともよく行ったけれど、ここはやっぱり父と行くのが正解なのだった。
「渋い」という感じが叔父にはまったくなかったから。
父の「渋さ」はどこから来ていたのだろうか?
いまだ、あたしには答えが見つかっていない。
ふつう、思春期の女の子は父親と距離を置くものだと、後になって知ったが、どうしてかあたしは父に嫌悪感を抱かなかったわ。
※これは近親相姦を防ぐためにそのような心理状態になるのだそうだ。ほんとうだろうか?

父親の年齢が同級生のお父さんよりも上だったことにも起因しているんじゃないかな。

コーヒーは、あたしは父の真似をして「ブレンド」を注文するもんだと思っていたが、あるとき父が、
「なおこ、好きな銘柄を飲んでみたらどうや?」
そう言って、メニューをあたしの前に差し出した。
そこにはブルーマウンテンを筆頭に、キリマンジャロ、モカ・マタリ、ブラジル・サントス、ロイヤル・コナと初めて見るコーヒーの名が並んでいた。
「どれがいいのかな」
「順番に飲んで、自分に合ったものを探すんや」
「ほなら、キリマンジャロって飲んでみる」
「おお、ええの選ぶね。酸味があるから、一度、試してみ。さっちゃん!この子にキリマン入れたって」
さっちゃんとは、この喫茶店のマスターの奥さんだった。
「なおこちゃん、大人やねぇ」
カウンターの向こうでにっこりわらって、さっちゃんがミルに豆を入れる。

あたしの前に、薫り高いキリマンが運ばれてきた。
「砂糖もなにも入れんで、一口、飲んでみ」父が教えてくれる。
あたしは、分厚いカップの縁に唇を当てて少し吸い込んだ。
しゅわっと酸味が口の中に広がり、その強いコーヒーの香りが灼熱の太陽を連想させた。
「ああ、ほんと、すっぱい」
「やろ?好きか?」父が窺うように訊いてきた。
「うん。好きよ。こんな味、初めてや。おいしいわ」
「無理せんと、少し砂糖を入れたらええねんで」
「うん」
あたしは、少しだけザラメのような砂糖を器からすくって入れた。
この日から、モカとか、果てはブルマンまであたしは父とここに来るたびに経験を積んだ。
さっちゃんが、あたしを大人として扱ってくれたのもうれしかった。
後に化学の学部生になったあたしは、酸味の強いコーヒーはやはり酸性で、ミルクを入れると凝集を起こすこともそのためだと知ることになったわ。

昨日は父の月命日だったんだよね。
忘れてたわ。
コーヒーをお供えしましょうか。