あたしは、球技が苦手だった。
だいたい、運動は嫌いだった。
足は、女子の中では遅くはなかったけれど、真ん中くらいだった。
泳ぎも、速くはなかったけれど、ゆっくりなら半キロくらいは泳げた。

そんなあたしが、野球をやっていたといったら驚くかもしれない。
そう、リトルリーグに所属していたのだ。
常盤(ときわ)「アローズ」・・・
ユニフォームを来て、バッターボックスに立つあたしの写真を見つけた。
赤いヘルメットが目深すぎて、前がよく見えていない。
背番号は「8」、打順も8番、守備はライト・・・
俗にいう「ライパチ」だ。
女の子はセカンドの田島優子ちゃんだけ。
※田島さんは、大阪体育大学を出て、中学校の体育の先生になられました。

野球は男の子間では盛んだったのに、ちゃんとチームに入ってやる子は集まらなかった事情があって、女子にまで声が掛かる始末。
※リトルリーグはお金がかかるということで、お家が許さない家も多かったの。
わりと、男の子たちと遊ぶ事が多かったあたしと田島さんにお誘いがかかった。
父がおもしろがって、あたしの「入団」を後押しした。
小学校四年の春だったわ。
グローブが臭くって、いやだったなぁ。
ズロースだかドロースだか知らないけれど、グローブに塗って手入れをするのね。
それも嫌だった。
ライトだから、フライを受けないといけないってんで、ノックはみんなフライなの。
「次、ライトなおぼん!カーン」
高く高く、監督が打ち上げるの。
おひさまが眩しくって、見失う。
後ろの遠いところにぽ~ンと落ちる。
「なにやってんねん!」
怒号がホームベースのほうから聞こえる。
「そんなこと言うたかて・・・」
そんでも秋ぐらいになると、フライを受けられるように落下位置に回り込めるようになった。
打球の音を聞き取って走るのだ。
セカンの優子があたしに声をかけてくれる。
「なおぼん、もっと下がって!」
「はぁい」
セカンドは一・二塁間で守備をするの。
あたしの前ね。
優子が後逸するとあたしがカバーして、ファーストの6年生迫田さんに投げる。これはいい。
バックホーム体制なら、キャッチャーの太田くんのミットめがけて投げなければならないけどあたしの肩じゃあ無理。
ピッチャーの上田さんに中継してもらうんで、間に合わない。

休憩時間に監督があたしに、
「広島の山本浩二を知ってるか?」
「知ってるよ」とあたし。
「山本も外野で背番号が8や」
※その頃の浩二さんはセンターやった。なんであたしがライトかというと、リトルリーグでは、たいていみんな右打ちなんでほとんど、ライト側には打球が来なかったからだって後から聞いた。
「まあ、ね」
「ええ、番号やろ。やる気でてくるやろ?」
「あたしは、あたし!」
『ミスター赤ヘル』と一緒にされても出来が違う。だいたい向こうはオトコや。

五年になったらレギュラーで試合に出させてもらった。
ヒット性の当たりは、なかなか出なかったけど、ピッチャーの打球に合わせることはできたし、一塁線に転がす犠打はよく決めた。
※「犠打」といってもバントのことです。犠牲フライは一度もない。記録ではバントも犠打なのよ。もちろん練習したわよ。血がにじむぐらい(うそこけ)。

それに、プロと違って、ピッチャーだって打つのよ。
いや、ピッチャーだからこそエースで、打たなきゃいけない。
エースの上田哲也さん、六年生だったけど、かっこよかったなぁ。
上田さんで勝てた試合もけっこうあった。
あたしが下位打線だからといって、凡退は許されないのよ。
次のピッチャーの上田さんにつながなくてはいけない。
だから、ファウルで粘ることもあった。
「バットは短く持って、なおぼん!」
「わかってるって」
「当たってでも塁にでろ!」
もう、むちゃくちゃや・・・
「粘りのなおぼん、最後は三振」
「うるさいわ!」
そういう打者だった。
大阪の子はヤジがえげつない。阪神タイガースの試合と何等変わらない。
それでも父は大喜びだった。
あたしのユニフォーム姿を写真に収めたのも、今は亡き父だった。

でも、父はあたしとキャッチボールをしてくれなかったな・・・
なんでだったのだろう?