今日の毎日新聞の書評欄には『家族計画』(芦崎笙著、日本経済新聞出版社)の書評を高樹のぶ子氏が寄せていた。

そこに衝撃的な、高樹さんの経験が冒頭に書かれていた。
少し引用します。
「ベトナム戦争に駆り出されたのは(ベトナムの:なおぼん註)若い女性たちだった。アメリカの爆撃で精神や身体を損ない、自力では生きていけなくなった多くの女性兵士が、戦後故郷の農村に戻ってきた。村長は離れた村から男を呼び、お金を払って身障者の女性と性交させ子供を産ませ、家族として認知した。社会主義国家では家族の単位で田畑が与えられたので、傷ついた女性であっても子供と村民の助けがあれば生きていくことが出来たのだ。(中略)私が会った元女性兵士は爆風で耳が全く聞こえなくなり精神的にも傷を負った。だがこの方法で授かった十四歳になる男児は、充分に母親の生きる杖(つえ)となり、貧しいながらも幸せに暮らしていた」
こういう事実がベトコンのほうにあったようです。
驚きです。
高樹さんは、これを目の当たりにして次のように述べています。
「女性の性や出産を福祉の代替にするのかと、最初は憤りを覚えたけれど、実際に親子に会ってみると自分の憤りの浅さを思い知った。見知らぬ男との、もしかしたら生涯に一度きりかも知れない性交で、生きる術(すべ)を手に入れた女性を目の前にして、女性の権利、性の自由などの言葉は吹き飛んだ」

あたしも、この話を読んで、他に手段はなかったのか?と思いました。
傷病兵に生活苦を来(きた)さないように、国家の手厚い福祉政策があれば、このような人権を蹂躙するような方法を採用しなくてもよいものを。

でもね、高樹さんも実際に彼女らの話を聞いて、戦争の悲劇の中からも、力強く生き延びる方法論として、そんなに誤ったものではないとも思いました。
結果オーライがすべてではないですが、この母子には、なんの罪科(つみとが)もない。
ただ、まっとうに生きる権利がある。
そうなんです。
ヒューマンライツとは「生きていく」ことを保証するものなんですよ。

で、じつは、当の書評の『家族計画』という本は、ベトコンの女性兵士たちとはまったく対極の、自立した女性が子供だけ欲しいという望みだけで、体外受精などの医療技術に頼らず、選ばれた見知らぬ男とセックスして種付けをしてもらうという話なんですよ。
やってることは同じなんだけど、精神的に「対極」だと、高樹のぶ子氏は言います。

こうして作られる仮想の未来は、「女によって作られた王国」となるのです。
少子化政策のいきつくところは、官民一体の「女だけで子を産み育てられる」社会でした。
一種の社会派SF作品と言えます。

倉橋由美子の作品に『アマノン国往還記』という佳作があります。
今回の『家族計画』はこれに似ているんじゃないかと勝手に思っています。
だから別に読みたいとは思いませんね。
よくある切り口のお話ではありましょう。

あたしが驚いたのは高樹さんのベトナム取材で出会った事実の方(ほう)でした。