あたしが小学校の頃、「ちんどん屋さん」というのが、よく町内にやってきた。

子どもたちには大人気で、遠くまでついていくこともしばしばだった。
自転車に乗って男の子たちは、囃し立てながら、女の子は、クラリネットの真似をしてランドセルから自分のリコーダーを出して吹きながら歩いたり。

そんなのが、「牛の涎(よだれ)」のように長々とちんどん屋の後をついていく。

あたしたちが習いたての『手のひらを太陽に』を吹き始めると、ちんどん屋のクラリネットさんが、「おっ」と言って、合わせてくれることもあった。
おじさんにとっては「お安いご用」の『手のひらを太陽に』であったのだろう。

『森のくまさん』、『村の鍛冶屋』、『ビビデバビデブー』・・・
次から次へと、おじさんたちは演ってくれた。

気がついたらとなり町まで来ていて、
「きみら、帰れんようになるで、もう、帰りや」
と、ちんどん屋さんに言われるしまつ。

もう辺りは薄暗くなっていた。

帰ってから、母にそのことを話すと。
「まるで、『ハーメルンの笛吹き』やな。そのまま連れて行かれて、売られるで」
と言われた。

大人の言葉を信じて、子供が大変な目に遭うお話として芥川龍之介の『トロッコ』がある。
たいそう有名な話なので、みなさんもご存知だろう。

子供は、いつも危険と隣り合わせで、生きている。
知らないうちに、親の目の届かない場所で、事件に巻き込まれる。
これは今も昔も同じだと思う。

こういうこともあった。
町内で「お葬式」があると、子供らのネットワークで、そのウワサがひろがるのだ。
そして、男の子たちと連れ立って、件(くだん)のお悔やみの家に向かう。
あたしたちが、参列(?)するのは「お通夜」ではなく「告別式」だ。

そして「出棺」まで、見送る。
実は、あたしらには目当てがあって、葬儀に来た子どもたちだけに「キャラメル」を配ってくれるのが習わしだったのだ。
あたしたちも、「大人しく」参列し、キャラメルをもらった手前、神妙に手を合わせ、霊柩車を見送るのだった。

もっと不謹慎なのは、男の子たちが、
「スズキの爺さん、今晩あたり、ヤマらしいで」
「ほうか、ほなら土日あたりに葬式やな」
なんて、皮算用をしているのだ。

大阪の子らしい、日常だったな。