あたしの出自は、ほぼ日本人だと思っていますが、本家の「高安家」が、太閤秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮の工人集団の一人であると過去帳に記されています。

あたしの父、横山高雄は高安家の次男ですが、分家の横山家に嫡男ができなかったので養子に出されました。
父の兄の息子が高安浩司(こうちゃん)という従弟です。

そんなことはどうでもいいのですが、その工人集団は陶工の集団だったらしく、その人達の中の安仁人(読み方がわからない)と言う人物が祖先になるようです。

明治になってから、戸籍に名字を登録するときに、不利な朝鮮名を変えて「高安(たかやす)」としたと記録がありました。
村の通称では、早くから「たかやす」と呼ばれていたとは、祖父の話。

こうしてみますと「パンチョッパリ(在日)」とは、いくぶん異なります。
※「パンチョッパリ」とは日本人には馴染みがないでしょうが、朝鮮半島にいる朝鮮人が「在日朝鮮人」に対して使う蔑称です。「半チョッパリ」、つまり半分だけ日本人ということでしょうかね。つまり「日本人」への蔑称が「チョッパリ」なんですよ。

安仁人は、厳密には陶工ではなく、登り窯の建設職人のようでした。

あたしは、キムチやニンニクが苦手ですけれども、李朝家具や李朝青磁は大好きです。
あの朝鮮様式の美は、妖しさもあって、薄暗いところで眺めるといいものです。

朝鮮というより「李朝」が好きなんですね。

高安の家にも「李朝家具」がありました。
かなり古いものです。
村長をしていたので、屋敷が大きく、土蔵も二つありました。
田畑はもうほとんど売ってしまい、宅地になってしまいましたが、本家屋敷はまだ健在のはずです。
本来なら、こうちゃんが継いでいるはずなのに、彼は行方不明なんです。
あたしの記憶の中では、彼はまだ高校生のままです。
拉致されたんでしょうか?
老いた伯父夫婦がその屋敷を守っています。

遠い昔のことです。