『日本のいちばん長い日』という映画の中で、阿南惟幾陸軍大臣が時の鈴木貫太郎総理に、抽斗に大事にしまっておいた外国産の珍しい葉巻煙草の箱を手渡すシーンがあります。

とても感動的な場面です。
昭和二十年八月九日の御前会議後、急いで終戦詔書の草案が作られました。
文言の一字一句まで詳細に検討され、内閣は紛糾します。
日付が変わっても会議は続きました。

阿南はそれまで内閣のなかで、梅津陸軍参謀長とともに強行に本土決戦を支持し、主張してきました。
もちろん鈴木首相は、天皇陛下のご聖断も得て、忠実に和平工作に勤しむ構えでしたから、阿南とは対立していました。
しかしながら、かつて天皇陛下に共に仕え、阿南は鈴木を敬い慕っていたのも事実です。
ただ、陸軍の総意として最後の最後までアメリカと戦い、本土で決戦を迎え、一億総玉砕で焦土と化した国土で果てるのだという急進的考えとの間に陸相という立場から板挟みになっていたのです。

もちろん、陸軍の青年将校の気持ちもよくわかっている阿南です。
まだ戦えると信じている若者に対して、武装を解除して白旗を揚げよとはとても言えない。
そして、そうやって彼らを鼓舞してきたのは、ほかならぬ自分たちではなかったか?

しかし客観的に見ても日本に勝ち目はなく、ポツダム宣言を受諾するという天皇陛下のご聖断こそが日本の行く末を考えるうえで、しごくまっとうなものであるということもわかっていました。

とうとう、阿南はご聖断を受け入れ、終戦詔書に同意するのです。

ただでは済まないことくらい阿南にはよくわかっていました。
かつて阿南は中国大陸で勝手に指揮を執り、たくさんの兵をむざむざと犬死させた経験もあります(第二次長沙作戦)。
散っていった若者に対し、死をもって贖(あがな)うほか身の処し方がないことも知っていました。
終戦詔書(玉音放送の原稿)の同意こそ、彼の最期の決断だったのです。

詔書署名の後、彼は自室に戻って身辺を整理し、さきほどの葉巻煙草の木箱を携えて階下の鈴木首相が休憩している部屋に下りました。

「鈴木さん、自分は陸軍を代表して強硬な反対意見ばかりを言い、本来ならお助けしなければならない立場にありながら総理にご迷惑をおかけいたしました。謹んでお詫びを申し上げます。自分の真意は、ひとえに日本の国の行く末と国体護持を思っての発言であり、他意はございませんでした」
と阿南陸相が首相に頭を下げるんです。
鈴木は、
「わかっておりましたよ。私はあなたの忌憚ない意見に感謝いたしております。しかし阿南さん、陛下と日本は安泰であり、私はね、日本の未来を悲観しておらんのですよ」
と、静かに応えます。
「自分もそう思います。勤勉な日本人は必ず日本を復興させるでしょう」
そう言って、阿南が煙草の箱を手渡すんです。
「自分はもう煙草をやらないので、どうか総理が召し上がってください」
阿南はそのまま部屋を辞します。
鈴木は迫水(さこみず)書記官に、
「阿南君は、いとまごいに来たんだね」とつぶやいて、首相は最期の別れになることを予感したのです。

もう時間がありません。
「玉音放送」の準備は着々と進められ、一方で陸軍の青年将校たちのクーデターの根回しが進んでいました。

阿南陸相は青年将校たちを欺いてでも、鈴木首相の和平工作に寄与し、そのあかつきには自決する覚悟でした。
阿南と対立していた米内光政海相は「阿南という男は最後までよくわからない男だった」と評したものの、自刃したと聞いて真っ先に弔問に訪れたのは米内だったと言います。
何かしら、阿南惟幾という人物に不思議な魅力があったのかもしれません。

いずれにせよ、日本の焦土化と一億総玉砕は免れました。
しかし沖縄と広島と長崎を犠牲にしてしまったことを忘れてはなりません。