『ダ・ヴィンチ・コード』につづいて『天使と悪魔』を観たわけですけれど、あたしの好みは後者ですね。
いきなりCERN(セルン)が出てきて「反物質」ですもんね。
スイスの加速器施設「CERN」で、人類が最初に「反物質」を手にするの。
しかし、何者かの手で「反物質」のカプセルが奪われてしまう。
カプセルの中で「反物質」は電磁石の強磁場の間に挟まれて「浮いた」状態で存在でき、もし電磁石の効果がなくなると、カプセルのどこかに触れたら最後、5KT(キロトン)の爆弾に匹敵する大爆発を起こすらしい。
カプセルの電磁石は搬出可能なように「電池」で働いているけれど、その電池が切れたら一巻の終わりなの。
早く取り戻さねば…

同時に、ヴァチカンのシスティナ礼拝堂では法皇逝去によりコンクラーベ(法皇選出会議)が行われている。
どうやら、逝去した法皇は何者かに毒殺された可能性があった。

ハーバード大学からロバート・ラングドン教授(トム・ハンクス)がイタリア警察に招聘される。
ラングドン教授は『ダ・ヴィンチ・コード』で活躍した宗教象徴学者だ。
CERNからも女性科学者ヴィットリア・ヴェトラ(アイェレット・ゾラー)も呼ばれていた。
ヴェトラは「反物質」の研究の第一人者です。

キリスト教と科学の対立を描くこの作品は、好奇心を満たす人間の奢(おご)りと、頑(かたく)なな宗教者の戒めに巻き込まれるパニック映画になっています。

イルミナティという結社が出てきます。
かつてガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられ、自らの観測により到達した「地動説」を撤回させられた事件がありました。
イルミナティは科学による真実の探求により旧来のキリスト教が否定する宇宙観などを正す結社として位置づけられ、古くから教会に弾圧を受け、対立してきたと言われます。
一説にピタゴラス学派が起源とも言われ、「フリーメイソン」とも関連があったとされます。
とにかくヴァチカンと対立するグループという位置づけでこの映画は楽しめると思います。
イルミナティはだから、テロリストであり、「反物質」を質にとって、ヴァチカンを脅迫するんです。
枢機卿の暗殺に始まり、コンクラーベを窮地に陥れるのが目的なのでしょう。
ローマ・カトリックへの大胆な挑戦状を送りつけたのです。
映画なんでとやかく言うのは野暮だけど、「そこまでするかぁ」というのが率直なあたしの感想です。
なんでもありで寛容な仏教徒のあたしには考えられない確執ですな。

イルミナティは殺し屋を雇い、コンクラーベの投票権を持つ四人の枢機卿を、キリスト教にまつわる象徴主義の「記号」に則って順番に殺していきます。
ラングドンはそれを読み解きながら、先回りして犯行を阻止しようとしますが、すべて後手に終わる。
記号は「天使が手に持つ矢」であるらしく、各寺院の天使の矢の指し示す方向に犯行現場が出現するの。
実は警察隊のなかに殺し屋が紛れ込んでいたために、警察官が次々と落命していく。
そして、反物質カプセルの電池の残量が少なくなっているので、みんな焦ります。
ヴァチカン市のどこかにあるはずのカプセルを早く見つけてしまわないと、バチカン市もろとも吹っ飛んでしまう。
コンクラーベの最中だから、信者や観光客、マスコミが大量にヴァチカンに押し寄せており、そうなれば大惨事になりかねません。

警察官らは射殺され、ラングドンとヴェトラだけでカプセル探しをするほかなくなってしまいます。

逝去した法皇の養子だった、マッケンナ(ユアン・マクレガー)という若い神父が法皇の死因に疑問を持ちます。
ヴェトラから「ヘパリン過剰注射」で殺されたなら口周辺が黒化しているはずと教えられ、法皇の棺を開けて確認すると、まさにその現象が現れていました。
※マッケンナは「カメルレンゴ」と劇中で呼ばれることがありますが、これは法皇の側近でお世話をする者のことだといいます。

マッケンナはイタリア軍に志願したことがあり、ヘリコプターの操縦ができるんですね。
これがこの物語の鍵になります。

ラングドンらの必死の捜索で、しゃれこうべだらけのカタコンベ(地下墓地)をさまよい、なんとかカプセルにたどり着きますが、もう時間がなかった。
殺し屋は、丸腰のラングドンやヴェトラの命を奪うことはせず、その代わり追うなと釘を差して、まんまと逃げ去りますが、彼も口封じに逃げようと乗り込んだ車に仕掛けられた爆弾で殺されてしまう。

ヴェトラの手に戻ったカプセルの電池は、低温のため起電力が落ち、あと数分でなくなってしまうようでした。
マッケンナがそのカプセルを奪うように取り上げ、おれに任せろとばかりに外へ持ち出します。
ラングドンたちは止めますが…
マッケンナはカプセルを持ったまま、礼拝堂前広場に駐機している軍のヘリに飛び乗って、一人上空に消えていきました。
見上げる群衆、その中にラングドン、ヴェトラの姿もありました。
おそらくマッケンナはヴァチカンを救うために遠く離れた場所でカプセルを爆発させるつもりなんでしょう。
かくして、空は真紅に染まり、深夜なのに昼のような光が空から轟音とともに差し込んできました。
電磁石の威力がなくなって反物質がカプセルに接触し「対消滅(ついしょうめつ)」して爆発したのです。

そして輝く空からパラシュートが一つ、ふわふわと降りてきました。
マッケンナがすんでのところでヘリコプターから脱出していたのです。
群衆は、マッケンナこそ「救世主」だ、救世主の降臨だと諸手を挙げて喜びます。

コンクラーベは紛糾します。
マッケンナを次期法皇にと推す勢力が多数を占めます。
しかし、そんな法は前代未聞で、とうてい支持できないと長老が譲りません。

その間、ラングドンたちは、事の真相を警備隊長のリヒター(マッケンナを殺そうとしたところを警官に射殺された)
の机に仕込まれた防犯カメラ映像の録画を観て知ります。
リヒターは、マッケンナの芝居にはめられていたのです。
リヒター隊長がマッケンナを殺そうとしていたのはマッケンナの野望に気づいたからだったのです。
ところが駆けつけた警官はそんなことを知らないし、聖なるマッケンナ神父が倒れて、リヒターにピストルを突きつけられているのを見れば、マッケンナ神父を助けようとするでしょう?

こうして今、まさに次期法皇に選ばれようとしているマッケンナ神父がすべて仕組んだ巧妙な芝居だったのです。
だから、育ての父であった法皇を毒殺したのも彼だし、イルミナティを騙(かた)って「反物質カプセル」を強奪させ、殺し屋を雇い枢機卿らを殺害させたのもマッケンナその人だったのです。

こんなことが許されていいわけがありません。
ラングドンは最後の仕事に立ち上がります。

さて、なんで「天使と悪魔」という題なんでしょうか?
これこそ象徴主義の謎解きなんですよ。
天使の矢が悪魔に狙い定めている。
そういう彫刻を目印にラングドンが誘拐された枢機卿の命を救おうと、また盗まれた「反物質カプセル」のありかを突き止めようと、ヴァチカンの街を地図を見ながら駆け回ります。
一体、誰が天使で誰が悪魔なのか、最後までわからない。
観た人は、「表裏一体」という言葉が頭に浮かぶと思います。
そうなんです、天使も悪魔も紙一重。
科学は天使の技にも、悪魔の所業にもなるとも取れます。
ガリレオの時代から、その対立はあったのだと作者は言っているのでしょう。
ただ、マッケンナ神父がそこまでして手に入れたかった法皇の地位とはなんだったのか、あたしには不分明でした。

エンターテイメントとして、よくできていると思いました。
十分楽しめます。
「トム・ハンクス」ファンにとっても、満足できる仕上がりでした。