突然の雨に、李順二は急いで軒下に入り込んだ。
「ついてねぇな。今日、雨降るって言ってたっけ?」
一人、毒づく順二だった。
戦後の雑然とした風景は、まだそこかしこに爪痕のように残っていたが、復興の波はめざましく、巣鴨のあたりも変わりつつあった。
昭和三十年に千代田区から新たにスタートした「朝鮮総連」の中で、土台人(トデイン)として順二は、朝鮮戦争休戦後の工作の任務に暗躍していた。
まずは、豊島区役所などの戸籍課に「総連」の息のかかった吏員を送り込んだり、買収することだった。
土台人がもっとも欲しがるものは、日本国籍である。
カネは、本国や日本の在日朝鮮人の富豪から潤沢に用意されていた。
昭和三十年と言えば、在日朝鮮人にとっては記念すべき「南日(ナムイル)声明」が叫ばれた年であり、ナム・イル朝鮮人民軍大将が日本の鳩山一郎首相と友好的国交を樹立させた年であった。
その動きで、千代田区富士見の一等地に朝鮮総連本部が置かれたのである。
日本に在日朝鮮人が深く入り込むには親北朝鮮の鳩山政権のうちにできるだけ有利にやっておかねばならない。

全国に朝鮮学校を置き、北朝鮮の指導を在日朝鮮人の隅々まで行きわたらせ、工作活動に有力な人材を育て上げるのも朝鮮総連の仕事だった。
チャールズ・ロバート・ジェンキンス元米陸軍軍曹が北朝鮮に投降してからこのかた、米軍の情報をつぶさに流してくれ、今後の工作活動の方針が総連で決まりつつあった。
もはや、金日成政権の邁進は前途洋々だった。

李順二の日本人の知己は多かった。
北鮮帰還事業で、日本は「在日」の厄介払いを早くしたいという意向と、日本人の拉致工作の朝鮮側の利害が一致し、その協力を惜しまない日本人が多かったのだ。
夢の国「北朝鮮」、ユートピア「北朝鮮」は貧しい日本人の間でも耳に心地よい響きだった。
戦後の苦しい時期を引きずったままの、神武景気にも無縁だった下層の日本人が、「それなら北朝鮮がある」と思わしめたのは勿怪(もっけ)の幸いだった。
戦災孤児やら、なんやらを新潟の港から「万景峰号」で北朝鮮に送り出す工作は、万事うまくいっていた。
これで「北朝鮮の新たな労働力は確保せり」と膠着した朝鮮動乱の未来を占う行動だった。

戦後日本は、高度成長期に浮かれ、隣人の北朝鮮に無防備だった。
パチンコ業界が資金源になっていたり、日本共産党や社会党が親北朝鮮に動き、学生運動から派生した過激派や、薬物と銃器売買による暴力団の暗躍で、日本の屋台骨が侵食されていたのである。
のちに共産党の赤軍の一派が「よど号」なる旅客機(YS-11)をハイジャックしてピョンヤンに向かったくらい、一部の日本人にとって北朝鮮は理想国家だったのだ。
拉致被害が表ざたになるまで四半世紀も「信じがたい」と取り合わなかった日本政府である。
土台人と工作員の工作天国だった。
日本海側の海岸は日本人狩りの「猟場」と化していた。

新潟地震で避難してきた朝鮮総連参事の横山高雄・倫姫夫妻の娘、麗子と尚子の戸籍付け替え(公文書偽造・戸籍法違反)は李順二のマブ(親友)の豊島区役所戸籍課、羽場義男が金百万円で受けた(賄賂罪)。
しかし、ともに発覚せず、立件されることはなかった。

「おい、羽振りがいいじゃねぇか」
『わだつみ』の縄のれんをくぐって、李が羽場の背中をたたいた。
「おう、順ちゃん」
もう、だいぶ出来上がっている羽場の隣の席に、順二が座る。
「おやじ、ビール」
寡黙な主人が一瞥をくれ、瓶ビールを冷蔵庫から取り出す。
「ほれ」
羽場の背広の内ポケットには「聖徳太子」の束がのぞいている。
「一介の公務員にしちゃ、持ちすぎだぜ。おごれよ」
「あんたにゃ、世話になってるからねぇ。また頼むぜ」
「わかってるって」
羽場は収賄によって、当時の日本人には高嶺の花だったシボレー「カマロ」を乗り回すような派手な生活をしていた。

朝鮮と日本の蜜月はしばらく続いた。
その中には「大物政治家」や「黒幕」と呼ばれる人物も散見された。
いい時代だった。

かくして、「横山尚子」は作り出されたのだ。
そして「麗子」は工作員とともに北鮮に渡った。
「麗子」を欲しがる金王朝の人物がいたからである。
金王朝の中興の祖の母となる「麗子」は何も知らず、すくすくと北の大地で育っていた。


あれから十年の歳月が流れた…

ドン!
少女の腰にくらいついた男がいた。
「早まるなっ」
ラグビーのタックルよろしく、男は少女を押し倒し、東尋坊の崖っぷちから、まさに飛び込もうとするところを救ったのだった。
少女は仰向けに倒れたまま目を見開いていた。
ほほを一筋の涙が伝う。
白珠を並べたような歯が、サクランボのような唇の間からのぞいていた。
「生きているか?」
男は問うた。
人だかりができ始めていた。
「助かったのね」
「立てるか」
男は少女の力ない腕を引いた。
売店のおばさんが毛布を持ってきて、少女に掛けた。
安堵した野次馬たちは、散っていった。

「よくいるんだよ。立て看板を見なかったんか?」
「…」
東尋坊の周りには自殺を思いとどまらせる「命の相談」の看板が林立していた。

「おれは、このあたりをパトロールしている増本というもんだ」
「あたし、あたし」
「いいよ、あそこで話を訊こう」
増本と名乗った男は「相談所」と書かれた建物に少女を導いた。