期待通りの本でした。
集英社新書から出た『アジア辺境論』(副題:これが日本の生きる道)です。
アジア辺境論

内田樹と姜尚中の対談です。
あたしは日本国民の教科書にしたいくらいですね。
選挙民はかくあるべきだと。

民主主義がいかに独裁制に移行しやすいものかということを実例を挙げて(挙げなくても気が付いているはずなのだが…)内田氏はじっくり説きます。
ヒトラーもムソリーニもペタンでさえ民主的に選ばれてのし上がった独裁者であるからです。

民主制は君主制や貴族制度に抗う制度としてフランスなどで生まれました。
民主主義は正しいという考えに懐疑的にならねばならない。
民主主義ほど運用を誤りやすいものはないのです。

たしかに民主主義自体に非はなく、むしろこれ以外の主義主張は後退主義です。
未来はない。

だが、先にも挙げたようにたやすく独裁者に牛耳られる。
なぜなら、国民がそういう人を選ぶからです。

内田氏がいみじくも指摘するのは「反知性主義の敷衍」です。
「決められない政治」への嫌悪、「ねじれ国会」の回避を国民が欲し、自民党に政権をゆだねた経緯は、国民が「難しいことを考えることに疲れた」という端的な指摘です。
内田氏は独裁制の対立軸は「民主制」ではなく「共和制」であると説きます。
なるほど…

共和制は三権分立、二院制、三審制など「簡単には物事が決まらない」制度です。
そうなんです。
物事を手っ取り早く簡単に決めたいと言う衝動は、思考停止の産物なんですよ。
そこが為政者の思うつぼなんだ。
彼らは「ねじれ解消」「決められる政治」と美辞麗句で国民をミスリードするんです。
そうやって拙速に決めてしまうと、戦争への近道まっしぐらとなります。
地道に、亀のごとく、牛のごとく決めていく、折り合いをつけていくのが政治なのに。

ですから、「物を考えない」「早く決めてほしい」という国民の弱点を独裁者はうまく利用します。
また、薄くなった中間層の人々の不満をくみ上げ、開いた格差を票につなげたトランプのような男が大統領に当選してしまう。

内田氏はこうも言います。
「決められない政府」だと、もし戦争になったら何もできずやられっぱなしだという人々は、考えが逆だと。
そもそも戦争に至らない外交を行うのが、地道な話し合いなんですよ。
そっちが先で、「なんでも決めてしまう政府」はすぐに戦争をおっぱじめてしまう。
後悔先に立たずで、もうそうなったら歴史の繰り返しだ。
「決められない」のは「決めにくい制度」になっているからであり、それは大事なことなんだと重ねて説得されます。

簡単に戦争に突っ走らない政治が共和制のいいところだということです。

ごく一部ですが、この本のさわりをご紹介しておきます。
選挙民として思考停止することなく、嫌なものは嫌だと主張できる国民でありたい。
なんでもいいから適当にやってくれという丸投げ精神では、とんでもないしっぺ返しを食らいますよ。