あたしは今、会社員とは別の顔を持っている。
もちろん、誰にも話してはいない。
あたしは、京都の指定暴力団「琴平会(ことひらかい)」の会頭、蒲生譲二の愛人になっていたのだ。
そして小さな書道塾の師範代の顔も持っていた。

いきさつはこうだ。

あたしにとって会社が休みの時に、京都の河原町界隈をぶらぶらするのが息抜きだった。
木屋町に「楓(ふう)」という、こじゃれた輸入雑貨店があった。
その無国籍な店内は、すぐにあたしのお気に入りになった。

店主は周囲から「ママ」と呼ばれていて、一見、水商売風の「ケバ」い四十半ばの女性で、店によく訪れるあたしを気に入ってくれて、あたしも打ち解けて「ママ」と話すようになった。
そのうち、ママが手一杯のときに店番を任されるくらいになった。
ママは本名を今井美千代といい、彼女の内縁の夫が蒲生譲二だったのだ。
蒲生がママにこの店を持たせてやっていたわけである。

蒲生は、あたしが化学を専門とする研究員であることをママから聞いたのだろう。
そのうち、蒲生に呼び出されることが増えた。
蒲生は麻薬や毒薬のことを執拗に尋ねるのだ。
もちろん、そのときには肉の関係はなかった。
蒲生は、自分の仕事をあたしに手伝わせたかったらしい。
組には、信頼できるまっとうな人間はおらず、あたしのような高学歴の人間は皆無だったからだろう。
もっとも顧問弁護士の神原正(かんばらただし)を除いてであるが。
神原先生は京大法学部出身で、かなりの切れ者だった。

蒲生の依頼する仕事は麻薬の密輸、詐欺商法、アダルトビデオの制作助手にまで及んだ。
ほんの数か月で、あたしは悪の片棒をいくつも担がされたのである。
そしてその報酬が、バブル期でもあって、こう言ってはなんだが、笑いが止まらないほどもらえたのである。
あたしは蒲生の信頼を得るようになり、ママに内緒で二人だけで会うようになってしまった。
ママには悪いと思いながら、蒲生の体におぼれた。
蒲生は、女を喜ばせるツボを心得ており、おぼこいあたしなど、彼にかかれば逝かされっぱなしだった。
明恵とはまったく違う、男としての女の支配だった。
なぜなら、膣への挿入があるから。
胎内を、蒲生の巨根でえぐられることで、まことの女の歓びを覚えたのである。
かつて浩二の幼いペニスをこわごわ胎内に収めたときとも比べ物にならなかった。

しかし、この情事はママに筒抜けだったのだ。
蒲生がすべてママに話してしまっていると聞いて、あたしはおののいた。
ヤクザの男を奪ったのである。
殺されてもおかしくなかった。
とうとうママに「楓」に呼び出された。
あたしは、覚悟を決めてママに謝ることにした。
意外なことに、ママは、
「あの人、どうだった?いいテクしてるでしょ?」
なんて訊いてくるのだ。
あたしはどう答えていいのか困惑してしまった。
「あの、ママ、ごめんなさい」
「アホやな、体、大事にせなあかんよ」
そう言ってくれたのだ。
「ぜったいコンドームつけさせや。なおぼん」
「ママ…」
ママは、蒲生がほかに女を抱くことについて、まったく動じていないのだった。
極道の妻というのはそういうことに頓着しないものなのだと。
「あんたは、あたしの妹分や。そんなことより、あんたに頼みたいことがあるねん」
と、続けた。
あたしは、許されることなら、何でもするつもりになっていた。
「あんたのメモ書き見て感心したんやけど、あんた字ぃ上手やね」
あたしは拍子抜けして、聞いていた。
「そこでや。あたしの父親が東山でしがない書道塾を経営してんねん。あんた、師範代になって土日に手伝いに行ったってほしいねん」
あまりの予想外の展開に、あたしはどっと疲れてしまった。
「はあ、そんなことあたしにでけますか?」
「できるて。十分や。いえね、父がひどい糖尿でな、もうあんまし塾に出られへんのや。そんで誰か代わりを探してくれ言うて頼まれててん。ほなら、あんたがいたわけよ」
タバコに火を点けながら、ママは言う。
「生徒は、高校生やら中学生、小学生もおったかな…たまに仕事帰りのOLが来るらしい」
「わかりました、土日の昼間ですね。空いてますから行きます」
「一日、一万円でどう?」
「そんな、もらいすぎですわ」
「かまへん。もし休みたい日があったら前もってあたしに言うて。月末にお手当は現金で払ったげるし。あ、地図はこの葉書を見て」
そう言って、書道塾の案内の葉書を渡された。
「ほんでな、これはちょっと頼みにくいんやけど、なおぼんは、父の内縁の妻ということにしといてな」
「な、なんでですか?」
「師範代は内縁の妻と決まってんねんて。ようわからんけど」
蒲生との肉体関係がとんでもない方向に展開して、あたしは面食らっていた。