私が最初に戦争の悲惨さを感じたのは五社英雄監督の『肉体の門』という映画だった。
洋画の数々の戦争映画や邦画の『二百三高地』『日本のいちばん長い日』よりもこの映画ほうが名もなき人々の戦争のむなしさを描き切っているように思う。
もちろん後に『プライベートライアン』などで戦闘の生々しさは描かれているが、ことに女の戦争についてはどこにも触れられていない。
戦争には必ず敗戦国と戦後がつきまとう。

戦中から一部の女性は体を売ることを余儀なくされた。
従軍慰安婦の話を持ち出すまでもないだろう。
戦後のどさくさでは、身持の固いと思われる女性でさえも米兵相手に春をひさいだ。
食べるために仕方がなかったのだ。
朝鮮人の女性が従軍慰安婦になったのも、そういう経緯があったのだろう。
戦後はそれが日本人の一般女性にまで及んだだけだ。
法は人権を守ってくれない。
平和な時しか法は機能しないのだ。

『肉体の門』では米兵に買われる女たちが主人公である。
かたせ梨乃の若々しい豊満な裸体が売り物で、ライバルの名取裕子とのダンスホールでのダンスは見どころだ。
名取が裸体をさらさなかったのには、五社監督との確執もあったようだ。
それはともかく、西川峰子の裸体も見られるのはこの映画くらいだろう。
そんな性と生がせめぎ合う東京の空襲廃墟でくりひろげられるパンパンの島争い、MPの取り締まり、殺人、闇市、ヤクザのシノギ、入れ墨がごった煮のように出てくる。
五社監督らしい、女の喧嘩も場を盛り上げる。
この作品は何度もリメイクされ、私の観た作品は五作目のようだった(1988年公開)。

今思うのだが、沖縄では戦争が終わっていないというのは、米軍が駐留して、兵士が街中で日本人女性に性的暴行をたびたび行っているのを見て、この映画のような状況がまだ残っているからではないかと想像するのである。
アメリカ兵は、日本人の女をモノのように扱い「肉便器」として使い捨てる。
澄子(名取)も米兵に蹂躙された過去があった。
彼女が身を落としたのは、米兵に復讐するためだったのだ。
「関東小政(こまさ)」こと浅野せん(かたせ)は戦災で焼き出され、空腹で彷徨する先で復員兵(傷病兵?)の伊吹(渡瀬恒彦)と出会い飯盒の飯をもらって命拾いし、その夜、お礼として彼女は伊吹に処女を奉げた。
そのときは互いに名も聞かず二人は別れたが、せんは伊吹の独特のたばこの吸い方を鮮明に覚えており、せんがパンパンになってから再会したときに彼が伊吹であることを知る。
伊吹はボルネオ戦線で指を負傷しており、それでタバコの支え方が独特なのだった。

袴田マーケットという闇市を仕切る袴田組の頭、袴田(根津甚八)とマチ子(西川峰子)のセックスシーンは熱演だった、私も濡れた。

私には、せん(かたせ)が傷病兵で盲目の男に体を提供するシーンが心に残る。
その兵も女を買いに来たのだ。
盲目だから、せんはお金を受け取ってもそっと彼の慰問箱の中に戻して抱かれてやるのだ。
盲目の男は母親にすがるように、せんの乳房にむしゃぶりつき、慰安されようとしている。
私は売春行為が決してさげすまれる仕事ではないと思った。
彼をひと時でも救えたからだ。

戦勝国の兵隊は敗戦国に駐留し、暫定政府を立ち上げるのが普通だが、そこには敗戦国民への人権蹂躙が必ずと言っていいほどある。
ここ、京都府宇治市でも今の近鉄大久保駅付近で、幼女が米兵に強姦され殺された事件があった。
ベトナム戦争でもそれはあり、韓国人の多くの義勇兵がベトコンの女性を強姦殺人したことは記録に残っている。
旧日本兵のフィリピンや南京での虐殺や強姦は言うまでもないし、戦争だから仕方がないという人も多い。
戦争をしてはいけないというのは、戦争の悲惨さが戦後も引きずるからなのだ。
「戦争だから仕方がない」という言い方は無責任極まりないが、一方で真実を言い当てているとも思う。
自然災害と同様、戦争になると人間の理性が吹っ飛ぶという核兵器並みに恐ろしいことが普通になるのだ。
ふつうの優しいお父さんが兵隊にとられて、戦地で豹変し、または強制させられて現地の女を犯すことがあったのだ。

浅野せんらのアジトには「守り神」が祀ってあった。
彼女らによれば、米軍の1トン爆弾の不発弾が信管を下にして中吊りになっているのがご本尊だというのだ。
だからこのあたりをシマにしているヤクザの袴田組も怖がって、せんらにちょっかいを出せない。
この土地を欲しがっているのだが、この爆弾がある限り臍(ほぞ)を噛むしかないのだ。
「抑止力」という言葉が頭をよぎる。
非力なパンパンたちが住む場所を奪われずに済んでいるのは、この危ないご神体のおかげという五社監督あるいは原作者のアンチテーゼだと思う。
平和とはこのように危うい状況で保たれているのだった。

観る者には、最後にこの爆弾が爆発して一巻の終わりになるのだなと予想される展開である。

今ある平和な世の中も、いったん戦争になれば、みんなが難民化し、女性は体を差し出して命乞いをせねばならないかもしれない。
男は、ほとんど殺されるのだろう。
銃弾に倒れるよりも辛いことではなかろうか?
だから、簡単に戦争をする仕組みをつくってはいけない。
北のミサイルが飛んできて、日本のあちこちが阿鼻叫喚地獄になり、自暴自棄になった近所の顔見知りのおっさんが、豹変して中学生の女の子を犯しまくってしまうなど、想像したくないだろう?
憲法改悪はしないでほしいものだ。