水野靖夫(靖夫)が『勝海舟の罠』をぶち上げている。
勝の『氷川清話』はホラ話だといい、この談話を鵜呑みにしたこれまでの歴史観を全否定する内容だ。

この人はかつて『「広辞苑」の罠』として、「広辞苑」が自虐史観の立場で記述され、「中韓への阿諛(あゆ)」で書かれていると叩いた人である。
漢字検定の1級合格者であり、漢字関係の書籍を多数著している。
東大卒で三和銀行(当時)に入行後、海外勤務を経てUFJ銀行の教育係となり、国粋主義的立場でかなり偏った保守派である。
だから、漢字や国語教育にうるさく、また、昨今の中韓への阿諛追従に業を煮やしている人であるから、山岡鉄舟研究会に属しているものわからなくはない。
彼が勝海舟がほら吹きだという根拠は『英国公文書』にあるらしい。
水野氏は歴史学者ではない。
自分の都合のいい文献記述があれば取り立てて物を言い、そうでないものは「自虐だ」、「阿諛だ」と否定するのである。
「日本会議」の連中がそうであるように、水野氏もその種の人間のようだ。
「広辞苑」は公平を期するように、客観的にさまざまな文献を当たって書かれ、版を重ねている。
水野氏は「広辞苑」が版を重ねるごとに、売国的な歴史観になっていると指摘するのだが、どうだろうか?

勝海舟が企画した「江戸城無血開城」こそ「大ボラ」だと水野氏が指摘する。
その場にいなかった者が、その場にいた勝海舟の言を否定するにはそれ相当の根拠がいるのだが、それが英国公文書だというのだが…
あんなもの、後の人間が何とでも書くだろう。
もちろん、勝が適当なこと言って、自分の手柄にしているのかもしれない。
それを否定する確たる文献がない以上、私は水野氏に賛同できかねる。
加えて、彼は歴史の専門家ではない。

我々は、史実とされているものを疑う目を持たねばならないが、偏った疑いはいけない。
私も『氷川清話』を鵜呑みにする気はない。
しかし本人が語っている以上(記録側に恣意や誤りがないとも言えないけれど)、「自白主義」に則り一応の信ぴょう性を感じる。
それよりも「江戸城無血開城」という事件が実際に起こったわけである。
そのことが誰の差し金かとか、だれの発案だとかは重要ではなく、極端な話「偶然に起こった」としたっていいわけである。
大事なのは、徳川慶喜が江戸城を明け渡し、自らは政界を退いたのである。
そのことが日本にとって重要なことだったのであり、勝海舟がこの際いてもいなくても構わないのである。
そこに勝海舟の奇策として、西郷隆盛を呼んで慶喜の命を取らずに開城することを約したとするドラマ性に日本人は弱かったというだけのことだったのかもしれない。
そんなドラマは歴史の上では大事なことではない。
もっとも、歴史は人間が作るのであって、勝海舟も西郷隆盛も大事な要素である。
ただそこには「言い伝え」しか残されず、科学的に見て疑いをさしはさむ余地は多々あるものだ。

だからといって、水野氏のように勝海舟は「大ぼら吹き」だといい、これまでの歴史観は間違いだらけだと結論づける乱暴な論調には賛同できない。
彼は国粋主義という色眼鏡を通して歴史を見ているのであって、決して公平とは言えないと思うからだ。
原田伊織の『明治維新という過ち』でもそうだが、センセーショナルな物言いで歴史の一部を否定し「新たな発見」のように書いているが、少し見方が違うだけで、歴史的事件が「過ち」であるかないかは当事者には関係のない事であり、後の人間が「あれは間違いだった」と勝手に言っても、たわごとにしかならない。
そんなことを言ったら、太平洋戦争も、二・二六事件も、日露戦争もみんな過ちである。
もし建設的に述べるのならそういった数々の過ちを繰り返さないように、歴史に学ぶべきだ。
吉田松陰がテロリストだ、坂本龍馬が詐欺師だとか、勝海舟は嘘つきなどと評するのはおこがましいと思わねばならない。

あなたは何様なのだ?
歴史を作ったのか?
彼らは少なくとも命を懸けて、日本の曙を創ったのだ。
本当の国粋主義者ならそれくらいの気概が欲しい。