私の将棋の師匠であるKちゃん(女の子)が今年、ストレートで京大理学部物理学科に受かった。
私はいまだに彼女には負けてばかりだった。
やっぱり頭の出来が違うのだなと、ますます落ち込む「おばさん」だった。
もっとも彼女に言わせると、「理系に進もうと決めたのは、おばちゃん(私)の影響」らしい。
お尻がこそばゆいわ。
思えば、Kちゃんと出会ったとき、彼女はまだ中学生になったばかりで、おぼこかった。
それがまあ、立派な京大生だ。

私と言えば、もはや頭の硬化は防ぎようもなく、寄る年波に衰えを感じ、日向ぼっこで老境に至る。
「でもKちゃん、京大を出てもそれを鼻にかけたらあかんよ。世の中は、いろんな人で成り立ってる。学校を出てはらへん人でも、ものすごく大事な仕事をしてくれて、世の中が回ってるねんよ。それだけは忘れたらあかんよ」と、少し辛(から)いことをはなむけの言葉としてあげたが、Kちゃんは素直に「そうやね、私はなんも特別やない、たくさんの人のおかげで学校に行けるんやもん。感謝してる」と言ってくれた。

そんな中、ニュースで「大学入試共通テスト」につき二つほど話題があった。

一つは、英語の試験を外部委託するらしいこと。
もう一つは、共通テストに記述式を採用することとして、試行調査の結果が出たことである。
そしてその正答率が0.7%という低率だったというショッキングな話だった。
日本の学生は文章が読めないらしい。


英語の試験を外部の専門機関に委託するというのもなんだけれど、客観性が担保されるならそれはそれでもいいと思う。
大学の負担も軽減せねばならないし。
もう一つの「記述式」は、もしかしたら大学の先生の負担が増大するのではなかろうか?

数日前に私は「バカロレア」の哲学の試験についてブログで書いた。
フランスではずいぶん昔から大学入試(入学資格試験)に哲学が採用されており、高校の指導でも哲学が必修となっていると書いた。
そしてバカロレアでは哲学科の試験は記述式である。
その中でも、論文形式できっちり自説を述べることが要求される。
好き勝手に書いては得点できない。
詳細は『バカロレア幸福論』(坂本尚志著)を参照願いたい。

ナポレオンが作ったとされるバカロレアであるが、その効果は今のフランスを象徴している。
フランス人は情緒よりも理論を好む。
フランス人は理屈っぽいが、信念がある。
フランス人は独立心が旺盛である。
フランス人は誰よりも自由を愛する。
だからフランス人は気高い。
フランスはいまだに、アフリカ各国の宗主国として君臨し、その勢いはイギリスを凌ぐ。
難解なフランス語を話すアフリカ人が多いのもうなずける。
フランスはインドシナ半島にも進出していたし、南太平洋で核実験を何度もやった。
紛争地域にも積極的に傭兵を出し、血気盛んなのはナポレオン譲りか?

そして、日本よりずっと治安が悪く失業率も高いのに、フランス人は「われらは幸福だ」と感じている。
反対に日本人には「不幸だ」と思っている人がなんと多いことか…

話がだいぶそれたが、やっと日本の大学入試も記述式を共通試験で問うようになるのかと感慨深い。
マークシート方式で過去問検討しかしない受験生が晴れて合格しても大した人間になりはしない。
自分で考え、答えを出す訓練をまったくしてきていないからだ。
誰かの真似は上手にするが、新しい問題に立ち向かい解決する人材は育ちにくい。
フランス人は問題解決力があるのだ。
その根底にはバカロレア制度があり、哲学を道徳として重んじて学ばせていることが挙げられよう。
日本は、道徳を「修身」として「しつけ」として学ばせている。
それはそれで意味のあることだろうが、世界標準にはなりはしない。
世界で問われるのは「問題解決能力」だからだ。

日本の大学生、いわんやその卒業生が世界で後れを取っているのは偶然ではない。
むしろたたき上げで、海外で活躍するアスリートや個人のほうが世界と渡り合っている。
押しなべて、海外での成功者は「哲学」を学び、持っているものだ。

相手を説得する弁論と記述の術を身に着けてこそ、グローバリゼーションに勝てる人材なのだと私は考える。