風来坊 (ふきのとう)

この空どこまで高いのか
青い空 お前と見上げたかった
飛行機雲のかかる空
風来坊 さよならがよく似合う
歩き疲れて 立ち止まり
振り向き振り向き来たけれど
雲がちぎれ 消えるだけ
空は高く 高く

(中略)
この道どこまで遠いのか
恋の道 お前と暮らしたかった
振られ捨てられ 気づく道
風来坊 強がりがよく似合う
歩き疲れて 立ち止まり
振り向き振り向き来たけれど
瞳熱く うるむだけ
道は遠く 遠く

(以下略)
※山木康夫 作詞作曲

将太の父親はヤクザ者であり、悪いうわさが絶えなかった。
尚子も将太と付き合っていることを両親には、ひた隠しにしていた。
ただ学校では尚子と将太の間柄は公然となっていた。
二人が良く、放課後の帰り道を一緒に歩いているところを学友たちに見られていた。

その頃、将太の父親が所属する小寺組が京都の雪洞(ぼんぼり)組と争っていた。
雪洞組は会津小鉄会系の組織で、京阪沿線に沿って京都から勢力を伸ばしつつあった。
小寺組は昔から、古川橋駅周辺から守口市駅にかけてをシマにして、しのいでいたが、雪洞組系のパチンコ店の進出で雲行きが怪しくなってきた。
いつごろからか、すでにあるパチンコ店が雪洞組に買収され始めたのである。
小寺組は、ほぼ独立系の弱小ヤクザで、頼るべき後ろ盾がなかった。
将太の父親が在日朝鮮人であったことも理由の一つかもしれない。
上手くやれば、ほかの強い暴力団と関係を形成することもできたろうに、それを怠って、いきがっていたから仕方がない。

尚子はそんな事情を一切知らされていないから、将太との蜜月がこの後も続くと信じていた。
将太は尚子を愛し始めていた。
こいつを生涯、守ってやりたい…将太は、そう思うようになっていた。
休みの日にはひらかたパークにデートに行ったりした。

放課後のある日…ダンプが通れば、乾いた埃の立つ道路沿いを二人は歩いていた。
「『愛と誠』みたいやな。あたしらって」
「なんやそれ」
尚子は当時流行っていた劇画を、自分たちの関係に重ねていた。
将太は、あまりそういう漫画本を読んでいないようだった。

夕日を背に二人の影は長く道路に伸びている。

その時である。
「おい、お前ら」
呼び止める男の声が斜め後ろから発せられた。
尚子たちが振り向くと、角刈りの三十がらみの男がビールケースに腰かけてメンチを切ってきた。
「なんです?」
将太が訝(いぶか)しんで答え、同時に尚子を自分の後ろにかばった。
「お前、朴井将太君やねぇ」
「そうですけど」
「ちょこっと顔を貸してくれるか?そのお嬢さんも一緒に」
「この子は関係ないやろ。なおぼん、先に帰れ」
将太が危険を感じて、尚子を促すが、もう一人の男が背後に近寄って来ていて尚子の腕をつかんで離さない。
「そうは、いかんのや」

そのまま、二人は金村工務店とどてっぱらに書かれたワンボックスに乗せられてしまった。
「ほな、二人ともおとなしゅうしててや」
角刈りの男が運転席からすごんで言う。
二人の隣には、将太よりも大きなデブが乗って、匕首(あいくち)で脅していた。

尚子はドア側に座っていて、将太が真ん中、そして向こう隣りに大男である。
車が発車して数分後、尚子はこの状況をなんとか脱したいとあれこれ考えていた。
命の危険も感じており、今まさに、行動の時だと尚子は思っていた。
将太に目で合図をする。
将太は目を細めて、かすかに唇を動かす。
「あほなこと考えるな」と、尚子には読めた。
国道163号線に出る寸前の右へのカーブで尚子はドアのロックを引いて思い切ってドアを開け外に転がり落ちた。
「あほんだら!」
「尚子っ!」
「停めろぉ。女が落ちた」
車が急ブレーキで止まる音がしたが、尚子はすでに走り去っていた。

制服は汚れ、膝頭から血を流し、おさげ髪は乱れて灰かぶり姫のようだった。
それでも泣きながら、必死で駆ける。
手には何も持っていない。
鞄も車の中に残したままだった。

パン屋が目に入ったので尚子は飛び込んだ。
驚く店主のおばさんに事情を話すと、快く電話を貸してくれた。
110番通報を終え、尚子は警察の到着を待つ間、将太の父親に連絡しなければと電話帳を借り、雀荘「大三元」の電話番号を見つけて電話を掛けた。
父親はすぐに電話に出てくれた。
「なんやて!金村工務店の車やな。あんたは将太のダチの子か」
「警察には知らせました」
「そんなもんあてになるかい。金村ちゅうたら、ぼんぼり組やないか。よっしゃわかった、横山はん、よう知らせてくれた。あんたはもう家に帰り、あとはわしらの問題やさけぇ」
そう言って将太の父親は電話を切ってしまった。
もう尚子の手に負える事件ではなくなっていた。
「鞄、どうしよ」
尚子はパン屋の店の中で丸椅子に腰かけて頭を抱えた。
しばらくしてパトカーがやってきた。
門真警察署からのものだった。
「あんたが、横山尚子さんか?」
「そうです」
「男にさらわれたんやね。ほかに男の友達がさらわれているんやね」
「そうです。朴井将太という男の子です」
「ぼくい?朴井全世(ぜんせい)の息子か?」
「知りませんけど、お家が「大三元」っていう雀荘です」
「やっぱり、朴井全世の息子や」
その刑事は手帳に何やら書きながら言った。
警察無線で何やら伝えている。
「緊急配備を願います。事件車両は朴井全世の息子、将太君を誘拐し逃走中。白の箱バンで側面に金村工務店と表示があるそうで、はい、かわせのか、なごやのな、むせんのむ、らじおのら、かなむらです」
「了解、ナンバーはわかりますか?どうぞ」
「ざんねんながら、わからんそうです」
尚子は、将太の父親に電話で知らせたことを刑事に伝えた。
「あのぉ、将太のお父さんが、金村工務店は、ぼんぼり組の人たちやと言うてました」
「なんやて?暴力団か、そいつらも」
また無線でそのことを刑事は伝えていた。
「おそらく、小寺組と雪洞組の抗争関係やと思われる。至急、守口署や寝屋川署と連携して車の行方を追ってもらいたい」
「あんたは、しばらく時間はええか?」
「家に電話してもええですか?」
「ああ、かまへん。ちょっと署まで来てもろて、二三、話を聞かせてほしいんや」
「はい」
仕方なく、尚子は承知した。

門真署に連れていかれ、しばらくすると母が慌てた様子で面会に来てくれた。
「あんた、どうしたんな」
尚子を抱きかかえると、倫子が娘の顔を覗き込む。
「お母さん…あたし」
「友達の朴井君と一緒に連れ去られて」
「朴井君?クラスの子なの?」
「うん」
「お母さんですか?ちょっと娘さんにお話がありますんで、別室でお待ちねがえますかね」
「あ、はい」
別の警察官が尚子を促して、取り調べの部屋に連れていった。

京阪萱島(
かやしま)駅の南側に赤レンガの建物で「金村工務店」という金文字の看板のかかったところがある。
そこで惨劇は起こった。
警察が到着する前に、朴井全世が殴り込んで、応対に出た組員を問答無用で射殺してしまったのだ。
「息子を出せぇ。出さんと皆殺しじゃ」
「なんやこいつ」
「わしは、小寺組の筆頭若頭の朴井じゃ、覚えとけ」
「落ち着け、朴井さんとやら。ハジキを下ろしてくださいよ」
奥から、雪洞組の舎弟、結城明男(あけお)がダンビラを片手に下手(したて)に出る。
「やかましい、はよ息子を解放せぇ」
いきまく朴井は天井に向かって一発、発砲した。
「おお、こわ。ご子息がどうなってもよろしいんかな」
「どういうこっちゃい」
「もう、淀川に浮かんでるかもしれへんなぁ」
「わははは」
奴らは、不敵に笑い飛ばした。
血の昇った朴井は引き金を容赦なく引いた。
銃声に組員は一斉にしゃがむ。
硝子が割れ、壁には銃弾が食い込み、硝煙の匂いが強くただよった。
そこにけたたましいサイレンが響いて、パトカーが事務所に数台横づけられた。
盾を持った、警官隊が事務所を囲む。

尚子は夜遅くに母親と家に帰ってきた。
外はパトカーのサイレンが鳴りやまず、空にはヘリコプターが飛び、事件のすさまじさを物語っていた。
「朴井さんってヤーさんでしょ」
母が訊く。
父も、
「ああ、小寺組の構成員やともっぱらの噂よ。尚子はそんな男と付き合ってたんやな。怖いもん知らずやな」
そういって、笑っていた。
「無事でなによりやったわ」と母。

テレビでは、萱島の組事務所で籠城が続いていて、中に将太の父親がいるらしいこと、また将太が見つかっていないことなどが断片的に報道されていた。

あくる日、尚子は最悪の結果を知らされた。
将太は変わり果てた姿で淀川に浮き、彼の父親は機動隊の突入に抵抗したため射殺された。
尚子の学生鞄が放置車両から見つかり捜査官によって尚子に届けられた。
将太の弟、太一は離れ離れになっていた母親に引き取られていった。

将太の弔いが過ぎても、尚子はしばらく憔悴しきっていたが、両親や友人たちの支えで、その春、無事に府立門真高校に入学することができた。

尚子が慣れない高校数学に格闘していたとき、深夜ラジオから、フォルクローレを想起させる『風来坊』が流れてきて、あの将太の、ぎこちない優しさが思い出されて、尚子は一人涙するのだった。

(おしまい)