元BC級戦犯で在日韓国人の李鶴来(イ・ハンネ)氏(93歳)の話が毎日新聞(7月15日付)に載っていた。

日本統治時代の半島南部、全羅南道(チョンラナムド)の小作農の家に生まれた李さんは、小学校を出た後、郵便局員などをやって生計を立てていた。
太平洋戦争が始まった翌年の1942年、17歳の李さんは軍属になるために受験するように村役場から勧められたそうだ。
実は役場ごとに、徴用のノルマがあり、韓国人を軍属になかば強制的に取り立てていたという。
試験は形ばかりで、すぐに採用となり、厳しい訓練の毎日が始まる。
殴られる毎日で李さんはつらい思いをして我慢した。
なぜなら、もし逃亡すれば、両親に責めがいくからだ。

日本兵がたたきこまれる「軍人勅諭」や「戦陣訓」も、李さんに押し付けられ、精神注入される。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の考えはここで洗脳された。
この時代、国際法で捕虜の人道的扱いの義務は周知であったが、日本軍には届かなかった。
もっともこのような国際法遵守の期待は薄く、枢軸国やソ連では日本同様に守られなかったと言ってよい。
米国でも在米邦人が戦時中に収容され、人権を奪われた時期があったではないか。

李さんは軍属になり、ビルマやタイに赴任し、泰緬鉄道(『戦場にかける橋』で有名)の工事監督に就いた。
そこで働かされていたのは、英国やオーストラリアの軍人の捕虜だったのは、映画の通りである。
過酷な労働は戦後の、極東軍事裁判でも問題になり、李さんもその廉で訴追され、あわや死刑の判決を受けるところだった。
罪状によると、李さんは日本軍の軍属時代に、捕虜への虐待があったという。
確かに、捕虜を殴ったことはあったらしい。
上官からそうさせられたのだった。
「捕虜の反抗、怠惰は暴力で鎮め、従わせる」という戦陣訓に従ったのだと。
捕虜は栄養状態の悪い食事と、熱帯の蒸し暑い気候でつぎつぎに病に倒れ、工事は遅れるばかりだった。
その有様を、日本の陸軍は「ゆゆしき事態」として、李さんなどの監督者をたきつけて、捕虜を叱咤させ、強制労働に駆り出させたのである。
その罪を連合国側が許すわけがなかった。
捕虜虐待の罪で朝鮮人の148人が「戦犯」とされ、23人が処刑されてしまった。
李さんは嘆いた。
「なんでおれが死刑にされなければならない。死に値する罪を犯したのか?」
李さんを告発したのはオーストラリア軍の捕虜だったダンロップという軍医だった。
しかし、ダンロップ氏は李さんを死刑にすることに、同意しなかった。
李さんとダンロップ氏は泰緬鉄道建設現場で対立した仲だった。
こうして、李さんは死刑を免れ、懲役20年の刑に服した。
幸い、1956年に仮出所が許されたが、生活していけず仲間が自殺した。
李さんは、タクシー会社を興しなんとか生きのびた。
李さんのような在日戦犯を支援していた医師今井知文さんが資金を援助してくれた。
1991年、李さんとダンロップ氏はオーストラリアで再会し、和解した。

それでも、懲役という理不尽な罰を受けることに、李さんはずっと煩悶してきた。
「おかしいじゃないか。私は日本人に利用され、犯罪の片棒を担がされた。それも反対できない特殊な状況で」
そして日本人ではないということで軍属に対する補償のテーブルにもつけなくなった。
利用するだけ利用して、都合が悪くなると「日本人ではない」とする日本政府への不信感が募った。
日本政府に補償を求める訴えを起こし、最高裁まで争ったが敗訴した。
判決文の中では戦争被害者の中で差別があることも認めたものの、最後は立法府(国会)の判断に任された。
でも立法府の腰は重かった。
戦争を過去のものにしてしまおうという機運が感じられ、補償の本気度が疑われた。
シベリア抑留者らが起こした補償を求める裁判でも、裁判所は「立法府にゆだねる」という判断に終始した。
最近になってシベリア抑留者への補償や台湾出身戦没者への救済は議員立法で成立したのに、李さんのような在日軍属の戦犯被害者に対する謝罪と補償の立法は成らなかった。
「戦犯」あるいは「戦犯の疑い」というだけで救済はないのだろうか?
もし、靖国に祀られている日本人の戦犯などが許されるなら、李さんたちも補償を受けられるのだろうか?
「在特会」が在日特権があるとかないとか言っているが、そんなものはなく、在日不利益だけがあるのではないか?
よく見て、よく聞いて、物を言うべきだ。

私は、在日ヘイトを繰り返す人々を見ていると、自分の近辺に在日韓国人や朝鮮人、中国人などがいない環境の人が多いように見受けられる。
もし身近に在日の人がいれば、そんな攻撃的な激しい言葉を吐きかけることはできないはずだ。
私は、中国にも韓国にも知己がいる。
そして一緒に仕事もしている。
私を含め、そういう人は、ヘイトスピーカーにはなれない。

ヘイトスピーカーは、時代のせいでそういうグローバルな仕事にもつけず、世間から落ちこぼれているので見えないのだ。
ロスジェネは、かくも罪深い。
自分の不幸な立場を、弱い立場の人に転嫁する。
自分の不幸は、在日に権利を奪われて機会を失っているからだと。

機会が均等に与えられた時代など、今までにあったか?
そんな妄想を信じている人がどうかしている。
それぞれの立場で、戦わねばいい地位につけるわけがなかろう。
何もしないで得られる既得権などないし、在日の人がそれを得ているというのも事実無根だ。

これからも機会は均等には与えられない。
立法でそのようにしようと構造は立てなおされるだろうが、やはり格差は起こる。
運や自己責任は現実にあるから、目をつむってはいけない。
それを人のせいにしてはいけない。

そう。
ヘイトスピーカーはみな「人のせいにする人」に思える。
あなたの不幸は自己責任ですよ。まちがいなく。