秋の彼岸も過ぎると、日が落ちるのは目に見えて早くなった。
「チョイと、お兄さん」
桃割れに結った小雪のおつむが、おれの方を振り返る。
「あ?」
おれは、間抜けな返事を返した。
小雪は血はつながっていないが、おれを兄のように慕うのだった。
花街で育った小雪が、そのうち男を知り、一人前の遊女に育っていくことを、自分はわかっていながら暗い気持ちになる。
「どうしたの?ぼおっとなさって」
「あ、いや、小雪は大人びてきたなァと思ってさ」
「やだわ、お兄さんたら…」
ほほをいく分赤らめて、軒先に漏れるガス灯に照らされながら下を向く。
この娘(こ)はもう男を知っているのではなかろうか?
おれは、ふとそのうなじの見せ方に戸惑いを隠せなかった。
ふつう幼い娘は、男におくれ毛を見せはしない。
いや、おくれ毛はどんな娘にもあるものだが、妖艶な誘惑をおくれ毛に演じさせるのは遊女の証だった。
かく言う、おれも女と遊んだ経験は数えるほどしかなかった。
二十歳を過ぎた自分は、身の丈に合う女を探していた。
しかし、小雪は俺を誘っている。
「こゆき、お前はもう店に出ているのか?」
「ううん。まだよ」
「ほんとか?」
「ほんとよ」
こういう娘は、店に出る前に、狒狒爺に「姫はじめ」されると聞く。
懐手(ふところで)をして往来を小雪を伴って歩きながら、おれは小雪を買いたいと感じていた。
「陽炎(かげろう)の女将(おかみ)に頼んでもいいかね」
「何を?」
「お前を買いたい」
「お兄さん…」
大きな目を、さらに大きくして小雪がおれを見上げる。
信じられないという風に…

東雲(しののめ)町の西側一帯は「深谷廓(ふかやくるわ)」といって、亀井川沿いに花街が軒を連ねている。
軍人や小僧、遊び人、商人などが行きかう、東雲通りはいつも賑やかだった。
亀井川には舟遊びの屋形船が行き来し、人々の歓楽を極めている。
置き屋「陽炎」は廓の中でも小さい店だった。
下倉橋のねきにあって、下倉の船着き場の丁度上の建物が「陽炎」だった。
女将は四十がらみの闊達な女丈夫で、おれは名を知らないが、面識はあった。
「陽炎」はおれが童貞を捨てた、思い出深い女郎屋だった。

「あたい、お兄さんに買われるならいいな」
その愛らしい頬にえくぼを作って、小雪は答えた。
ただ「未通女(おぼこ)」を買うのは並大抵ではない。
目を剥くほどの金をとられるとも聞いたことがあった。
一方で、未通女は手間がかかるとかで、買い手がつきにくく格安で売られるということも聞いたことがあった。
小雪はどうだろう?

行きつけのあんみつ屋に小雪と入り、とりとめのない会話をした。
「すずよ姐さんとは、会っているのかい?」
小雪の先輩女郎のすずよのことを訊いてみた。
「姐さんには、朝霧の大店(おおだな)に引かれてから、会ってません」
あんみつの餡をさじで崩しながら、小雪がやや剣呑(けんのん)に答えた。
朝霧町にある陶磁器を商う大店で「竹里(ちくり)」という屋号だったと思う。
すずよと俺は二度ほど同衾したことがあった。
小雪の態度には、そういうことも関係しているのかもしれなかった。
おれは話題を変えた。

店を出ると、夜のとばりが下りていた。
「もう帰らなくちゃ」
「送っていくよ」
「きっとよ」
「何がさ」
「あたいを、買ってくれるんでしょ?」
「ああ、そのことは女将と相談だ」
「なぁんだ」
ふくれっ面で、小雪が言う。
「怒るな。ちゃんと呼んでやるよ」
夜気が肌寒く感じる。
おれは小雪を下倉橋東詰めまで送って行った。

(つづく)