その日の夕方、おれは山本純子に声を掛けられた。
おれは、水道のところで、たこ焼きの粉を溶いたバケツを洗っていた。
「小縣くん…」
その声ですぐに純子だとわかったので、振り向いた。
「あ、山本さん」
「あの、聞いてるでしょ?」
愛くるしい表情で彼女が言う。
とぼけるのも何なので、おれはうなずいた。
「宮本さんだっけ、小縣君の知り合いの奥さんが、電気科学館のプラネタリウムに一緒に行かないかって誘われて…」
「山本さんはどうや?行ける?」
「いいよ。でも、なんであたしなんやろ?」
どうやら、宮本さんは、おれが純子に好意を持っていて誘ったようには言わなかったらしい。
「山本さん、ほんとはな」
おれは周りを見回して廊下にだれもいないことを確かめた。
「おれ、つきあってほしいなって思ってて、隣に住んでる宮本さんに相談したら、なんとかしてあげるって言われてさ」
純子は要領を得ない顔をしていたが、急にメガネの奥の目を大きくして、「ええっ」とびっくりした声を上げた。
「だれか、ほかにつき合ってる人、いてんの?」
「ううん。いいひんけど」
「嫌やったら、ええんや。このまま黙ってるより、言うて後悔した方がええし」
「嫌なことないよ。うれしい。初めてなんです。あたし、こういうの」
「ほなら、行こうな。いつやったらええ?」
「じゃあ、次の日曜日とか…」
「わかった。時間とかまた連絡するわ。ありがと」
「じゃ」
「ああ」
純子は、振り返らずに小走りに駆けて行った。
もう夕闇が迫っていた。