私がお手伝いしている塾で、友人関係の悩みを抱えている中三の女の子がいた。
「アスペの男の子がクラスにいるんやけど、めっちゃうざいねん」
「そんなこというたらあかんよ」
私は、その子(Sさんとしておく)をたしなめた。
「そやかて、クラスでなんか取り組むとき、N(アスペらしき男子)は約束を守らへんねんもん」
「そんなことだれでもあるやろ?」
「Nは、しれっとして、言い訳ばっかしするんや。それもあほらしい言い訳!」

アスペ(アスペルガー症候群)とは、定義が難しいのだが、注意が散漫に見え、対人関係に支障をきたすほど、空気が読めないとか、婉曲な言い回しが理解できない症状を訴える人々だそうだ。
そういう気質がありながら、なかなか認めてもらえず、疎外されたり、攻撃されたりして社会適応できずに引きこもってしまうこともよくあるらしい。
半面、頭がすこぶる良かったり、あることに病的に集中したりして、中には偉業を達成するひとも少なからず報告されている。
世に出た偉人の中にもアスペと疑われる人々がいるという。

脳のどこかに常人と異なる処理回路が生来的に備わっていて、それが社会的に逸脱した行為につながったりするのかもしれない。
それを「病気」だと片づけてしまうと、なにも解決しないのがこの「個性」の難しいところだ。
確かに、彼らをとりまく「普通の人々」は振り回されるだろう。
「このクソ忙しい時に、こいつは何をやっとんね!」
気の短い関西人の中では、アスペの人々はこっぱみじんにやっつけられてしまう。
もっと気の長い地方の人々の中なら、なんとかやっていけるかもしれない。

Sさんの話によれば、N君は運動会などで練習をクラスでするときに、決まって来ないらしい。
そのN君の言い訳は「強制じゃないと思ったから…」とかなんとか言うたらしい。
授業中も、ふいと立ち上がって教室から出て行ったりもしたらしい。
先生は、だいたいわかっているらしく、授業を続けながら、クラス委員の子に探しにやるなんてこともしばしばだそうだ。
クラス委員はいい迷惑である。
Sさんが腹立たしいのは、N君は「勉強がよくできる」のだからだそうだ。
「ちょっと賢いからって、生意気なんよ」
と、かなりご立腹な様子だ。
私は苦笑した。
だって、私もN君によく似たところがあるからだ。
だからといって、私がアスペかというとそうではない。
空気が読めないということはない。
かなり、私は他人に気を遣う方だ。
しかし、嫌なことは嫌というところはN君に似ていると思う。
「それくらい、黙ってやったれよ」と旦那によく言われたものだったが、嫌な奴に頼まれたことは、箸の上げ下げでもやらないのだ。
その「かたくなさ」で付き合いを無くしたこともあった。
いまだに、私は友人が少ない。
充電と称して引きこもったこともあった。
私は集団が嫌いだ。
だから学校という場も嫌いだった。
先生は好きだったが、クラスメイトのことなんざ、どうでもよかった。
だから同窓会には行かない。

「アスペのひとをつまはじきにする前に、一度、思い切ってアスペの真似をしてご覧」
私はSさんにそうアドバイスをした。
Sさんはきょとんとして、要領を得ない様子だった。
「そんなん、できひん」
そう、小さく言うのだった。
私は、少し説明が必要だと思い、次のような話をした。
「アスペの子は、約束を平気で破るし、人の気持ちを汲まない。こっちが良かれと思ってしたことを、迷惑がるし、無視されることもあるだろう。ならね、自分も周りのことをいっさい気にせずに、自分のやりたい放題にやってごらん。めっちゃ気持ちいいから」
そうなのだ。
アスペの生き方は、自分本位で気持ちがいいのである。
「約束したけど、なんか行きたくなくなった…行かんとこ」
これである。
これを実行すると、なんとすがすがしいことよ。
人との関係を、ぶち切る痛快さ。
アスペの人々はこんな気持ちのいい思いをしているのか。
それで自分の好きなことに専念する!
一芸に秀でた人は、どこかアスペっぽい。
トップアスリートもそうだし、芸術家もそうだ。
俳優だって、すっごく自分勝手な人もいる。
でもそのことで後ろめたさを感じていない。
むしろ堂々としているように見える。

確かに、軋轢は生じるだろう。
信用も無くすかもしれない。
第一、社会に出ても誰も相手にしてくれず、就職もできず、彼女もできず、行き倒れるかもしれない。
それがどうした。
あんたの人生じゃないか。
相手にされないなら、こっちからも願い下げだ。
N君よ、そのまま前に進みたまえ。