今でも練習航海などでは「赤道祭」を行うようです。
つまり、船で赤道を横切るとき、航海の無事を祈って、船長と船員たちでお祭りをするんですね。

実松譲(さねまつゆずる)氏が海軍兵学校を卒業して、少尉候補生として練習艦「磐手」(米内光政艦長)に乗艦したときのこと、初の外洋航海で赤道祭を経験した話を『米内光政(よないみつまさ)』(光人社NF文庫)に書いています。
少し引用します。
「赤道を通るとき、むかしからの船乗りの風習にしたがい、各艦は趣向をこらした盛大な赤道祭をやる。赤道神に扮した水兵が、赤鬼と青鬼になった兵隊をしたがえ、マストの高いところから『赤道の鍵』を持って天降(あまくだ)ってくる。艦長が祭壇の上でうやうやしくそれを迎え、大きな鍵を授けられて、はじめて赤道の通過がゆるされるという儀式である。このときの米内艦長の演技が、水ぎわ立って立派だった(後略)」

ざっとこのような儀式が海軍ではおこなわれていた模様です。

ひとつの理由に、航海術が発達して赤道の正確な位置が把握できるようになった近代航海において、航海の安全を期するために儀式をとりおこなうことになったのだと言われています。
クルーズ船などでは船長主催のパーティ形式の儀式となり、航海で乗客の退屈を癒すレクリエーションとしての色が濃くなっているそうですが、実松氏の話でもそのように描かれています。

また、船乗りは「赤道祭」を通過儀礼として経験することで一人前と言われました。
帆船時代、赤道付近は無風地帯であり、航海上の難所でありました。
また、船乗りたちは、そこに至るまでにも数々の難所を経てくるからにほかなりません。

旧日本海軍では、西洋の風習とは少し異なり、特段、通過儀礼という趣(おもむき)はなく、航海の安全を祈念するという意味と水兵たちのリクリエーション、士気高揚の意味合いが強かったようです。

客船などの例ではネプチューン神に扮した船長(そうでなければ年長者がその大役を受ける)が鬼(デイビー・ジョーンズ、つまり海の底の獄卒で海難事故に遭って帰ってこない人はここに囚われているとする)を従えて、寸劇をするらしい。
しかしアメリカ海軍では、新兵を手荒く虐待する儀式があり、海に放り込んだり、汚物を頭からかけられたりするらしいから、大変だ。

実松氏は、米内光政(海相、首相を歴任)の側近として海外にも随行した軍人で、もっとも米内を知る人です。
私は実松氏の子供向け戦記、兵器解説書(秋田書店)を座右に置いて、プラモを作っていました。
米内光政は、山本五十六が最も尊敬した人物であり、日独伊三国同盟に最後まで反対し、日米開戦にも反対した人です。
軍人でありながら、平和主義者であり、人望も厚く、吉田茂や鈴木貫太郎、幣原喜重郎らとともに終戦処理に尽力し、戦後も戦犯に問われませんでした(証人として極東軍事裁判に列席しましたが)。
私も好きな軍人です。