海底地図で少し気になったものがあった。
南海トラフ」海底地図の紀伊水道が終わる当たりに、三つの海底谷(紀伊、日高、富田)がある。
これは古いものなのか?
かなり深く切り立っている。
フィリピン海プレートがユーラシアプレートに押してきているので、土佐沖や熊野灘沖は地震の頻発地帯だ。
紀伊水道の「波食台」からなる浅い部分(-100m)がいきなり深くなって(-1000m)海盆(室戸舟状海盆)を生じているところが陥没地形だとすると、プレートの沈み込みによるものかもしれない。
それに伴って海底谷が刻まれたのだろうか?
舟状海盆の南辺は土佐バエといって、やや浅く(-200m)好漁場として知られる。
土佐バエのさらに沖は南海舟状海盆(南海トラフ)へと急に落ちていく(-4500m)。
※舟状海盆(海底の盆地)をトラフという。

紀伊半島の切り立った海岸は比較的新しい浸食によるものであり、紀伊山地の標高の高い険しい山々は、プレートの沈み込みと押し上げによる造山運動(曲隆山地)でできたとされる。
半島は中央構造線を含み、それが衛星写真からも九州地方、四国地方からの延長が紀伊山地に及んでいるのが明らかだ。
紀伊半島の成り立ちにつき、「南紀熊野ジオパーク」も参照のこと。

南海トラフができたのは、プレートの沈み込みによるものらしいから、それによって小規模な海底の割れが生じ、陥没地形が多数みられるのも理解できる。
「ブラタモリ」で触れていたが、古代には紀伊半島の南東部「熊野灘」には巨大なカルデラがあったともいう。
アナグリフ画像」の8ページや「海底谷」も参照願いたい。