①次の演算には二通りの答えがあるとされるが、それでいいのか?
8÷2(2+2)=1 …(1)
与式=8÷2×4=16 …(2)

(1)の答えが、日本人の場合、もっとも多いが、外国では一定の割合で(2)を答える者がいるらしい。
実は関数電卓で式のまま入力して計算させるものがあるが、日本製の電卓はやはり(1)の答えをはじき出すけれど、外国製の電卓では(2)の答えをはじき出すものがあるらしい。
そうなってくると、数学の基礎が瓦解しかねない由々しき問題ではなかろうか?
ある物理学者は「方言みたいなもので、文化の違いで二通りの回答があってもいいし、いずれも正解だ」とおっしゃる。
そんなのんきなことを言っていて、科学の発展に支障はないのだろうか?

もう一度計算式を見てみよう。
(1)の式は、かっこの中から先に計算するという公理に基づいている。
また通底しているのは演算の順序の公理であって「加法より乗法を優先に計算する」に則る。
ここで減法は加法に包含され、除法は乗法に包含される。
とはいえ、加減の混じった式や乗除の混じった式では交換法則が成り立たない。

すると、我々日本人がやりがちな(1)は、正解というには「灰色」であるような気がしてくる。
かっこ内から先に計算することはかまわない。
しかし、その次に、となりの2と掛けることを先にしているのは(2)の手続きをすっとばしてはいないか?というのである。
かっこ内を先に計算して、
「8÷2×4」の形に整頓して、公理通りに前から計算すべきではないかというのが、海外のある人々の言い分だ。
ゆえに「8×1/2×4」は積に直っているので約分も交換法則が成り立つからどこからおこなってもいいのでやはり答えは「16」にならざるをえない。
つまり、かっこ内を先に計算することと、そののちの2と掛ける操作はまとめていいわけではない。

ただ、一つ我々に言い分があるとすれば、(1)式の二項目が「2×(2+2)」ではなく「2(2+2)」と乗法の記号が略されて書かれていることだろうか。
こういう場合はその項から優先して計算しても間違いではないということだ。
除法で割る側に数字を逆数にして積に書き直した場合、分数で書かれた項は先に計算するという決まりと同じだ。

②運動量保存法則とエネルギー保存法則の違いは?

これは、塾生の高校生に尋ねられて、いささか答えに窮した経験があるので書いておこう。
やはりごっちゃにしている人が多い。
「単に言い方が違うだけで同じことを言っているのでは?」という子もいましたが、冗談じゃない!えらい違いなんですよ。

まず言葉の説明からしましょうね。
「運動量(momentum)」とは物理の世界ではどう定義されますかね。
ある重さの物体が止まっているか、動いているか、動いているならどの方向にどの程度の時間で動いているのか?
言い換えると質量と速度の積であると定義できます。
そういう物理量を運動量といい、高校生ならそれはベクトル量といって方向を持つ量だと説明できるはずです。
したがって次元はML/Tですね。
ここでMは運動している物体の質量、Lはその移動した距離、Tはその移動に要した時間です。
次元から単位は「kg・m/s」もしくは「N・s」となります。
※1Nは質量1kgの物体で、1m/s^2の加速度を生じさせる力(ちから)をいう(1N=1kg・m/s^2)。

運動している物体には慣性が働くので、物体が止まるときに、まだ動こうとする力が働きます。
これこそが運動量です。

「保存法則」とはなんですかね?
二つ玉のビリヤードを想定してください。
※わざわざ「ビリヤード」と断っているのは、同質量で色が違う合同な球体が重力場平面上に静止しているという前提を与えたいからです。

止まっている赤玉に、離した白玉を真向にキューで突きます。
キューで与えた運動量が白玉に伝わり、白玉は勢いよく転がって赤玉に命中しました。
どうなりましたか?
白玉が止まって、赤玉が白玉の速度そのままに、白玉が進んでいくだろう方向に転がっていきました。
これが運動量の保存です。
白玉が持っていた運動量が、全部残らず赤玉に移ったから、白玉は運動量を失って止まったのです。
これを利用した玩具に「ニュートンのゆりかご」というものがありますので、一度手にしてみてください。
白玉から赤玉に運動量が保存されたまま移っていったことを「運動量保存の法則」というのです。

つぎに「エネルギー」ですが、運動量とは異なるのでしょうか?
これには「系(system)」という概念が必要になってきます。
つまり「空間(space)」なんです。
それも閉じた空間だ。
系には、いちおう空気が満たされているとしましょう。
我々の住む世界の一部を切り取った空間を系としましょう。
そこは気温があり、湿度はないことにして、物理量としては温度と容積、圧力が考えられます。
この中に機関があり仕事をして熱の出入りが部分的にあっても、全体としての熱量には変化がありません(熱力学第一法則)。
温度が上がれば、気体は膨張し、系の圧力が増すのですね。
外から系に加えられた熱がさせた仕事は膨張した気体の圧力上昇です。
まだエネルギーという言葉が出て来てませんが、姿は現しています。
「熱」と「仕事」なんです。
これらはマイヤーという物理学者によって同じものだと決定されました。
つまり「熱」が「仕事」に変換されたのです。
この「熱」と「仕事」を行き来している概念を「エネルギー」と定義するのです。
熱力学の世界では、エネルギーとは自由エネルギーのことを言います。
この自由エネルギーには、提唱者の名前を取ってヘルムホルツの自由エネルギーとギブスの自由エネルギーが存在し、熱機関の自由エネルギーはヘルムホルツの、電池作用による自由エネルギーはギブスのそれぞれ自由エネルギーと呼びます。
※ガソリンエンジンの自動車はヘルムホルツ型であり、電気自動車はギブス型、ハイブリッドカーは両者の自由エネルギーの型を使って動いています。

そして質点系古典力学でもエネルギー保存則は現れます。
それは位置のエネルギーと運動エネルギーで、大気圧下の重力系において、ある質量の物体が任意の高さから自由落下するとき、落ちる寸前は位置のエネルギーが100%で、運動エネルギーが0です。
そして落ち始めると、位置のエネルギーが減って、その分運動エネルギーが増えていき、地面に到達した時に運動エネルギーが最高になります(ただし空気の摩擦抵抗でエネルギーが一部失われる)。
もしその運動エネルギーでくい打ちをすれば、失われた空気抵抗による損失エネルギーを差っ引いた残りの運動エネルギーでそれなりの仕事をし、同時に音や熱を発するでしょう。
それらのエネルギーの総和は失われた位置のエネルギーに等しいということで、エネルギー保存則が成立するのです。

③鎌倉幕府の成立が西暦1192年ではなかったこと。
だいぶ前でしたか、源頼朝による鎌倉幕府の成立が、これまで言われてきた西暦1192年ではなく、もうすこし前にさかのぼるらしいという専門家の見立てが出てきて、教科書が書き換えられたらしいですね。
その根拠を和多田塾頭にお聞きしました。
最初に断っておきますと、鎌倉幕府が成立したのは西暦1185年であったと修正されたということです。
1185年といえば壇ノ浦の戦いで源氏が平氏を破った年です。
『吾妻鏡(あづまかがみ)』という歴史書に依拠すると、この年に、勝利した源頼朝を、のちの初代執権になる北条時政(頼朝の妻、北条政子の父)が朝廷に源氏の棟梁としての権限を与えるように奏上したことをもって、鎌倉幕府の実質的成立とみるのだそうだ(文治の勅許)。
すると1192年は、いったい何の年なのだろうか?
この年は、源頼朝が征夷大将軍(以下将軍)として名のりを上げた年だったのでした。
1185年から約七年の間、鎌倉幕府はすでに機能していたとみるわけです。
事実上まだ、源頼朝は将軍ではなかったにせよ、各地の守護地頭の任命・罷免権を朝廷から授かっており、天下に号令をかける地位にいたからです。
そもそも「幕府」という言葉は『吾妻鏡』に見える言葉ですが、その意味は将軍の住まいを言うのであるとしています。
そして当時は頼朝の住まいは「鎌倉殿(かまくらどの)」と呼ばれていました。
後世、江戸幕府のような「政治の中心」を指すような使われ方はしておらず、頼朝の住まいが鎌倉にあって、それが別名「幕府」と呼ばれていたらしい。
戦時にあって、指揮官が指揮を執るために幕営した場所、仮の住まいを「幕府」と呼んだのであって、江戸幕府のようなキャッスルを指すのではないようです。
現代でも自衛隊に「統幕」「幕僚」などという言葉が残っているのもうなずけましょう。