今日のお話は、大川悦生(おおかわえっせい)さんの「おかあさんの木」です。

小学校時代の授業で取り上げられ、細部の記憶はあいまいですが、ご了承くださいな。
※あたしらの小学校時代は日教組全盛期で、先生はよくデモだのに参加して自習になっていました。当時は反戦、公害、差別(人権)についての授業にたくさんの時間を割いていたように思います。

じゃあ、始めましょうか。

七人の息子のお母さんのお話です。

息子は長男から一郎、二郎、三郎と、末の七郎までおりました。
みんな、親思いの孝行息子に、立派に育ってくれました。

平和だったら、こんなに嬉しいことはないはずです。

でも、あの時代は違ったんです。
日本が戦争をしていたからでした。
それも、だんだん戦局が悪い状況になりつつあったのに、日本の偉い人たちは嘘をついて、国民に「勝っている」と言い続けていましたよ。

ある日、長男の一郎に赤紙(召集令状)が届きました。
お母さんは、血の気が引くような気持ちがしました。

それでも、精一杯の笑顔で一郎に「お国のために」と励まして、送り出しました。
こっそり、お母さんは裏庭に桐の木を植えました。

その後、二郎、三郎と兵隊に取られていきました。
そのたびに、お母さんは桐の木を植え、子供たちの名前をつけたんです。
お母さんは毎日、木に話しかけながら水をやります。
「一郎、おはよう」
「二郎、おはよう、ちっと傾いとるな」と支えをしてやり、
「三郎、元気がないな、お国のために手柄を立ててくれよ」とあれこれ気を揉みます。

桐の木はぐんぐん伸びて、一郎の木が一番元気に葉を茂らせてます。
その日もお母さんは一郎の桐を見て、満足気でした。

すると「ごめんください!」と玄関から、呼ばわる人がいます。
役場のひとが一郎の戦死を告げに来たのでした。
「息子さんは、中国大陸で名誉の戦死をとげられました。これが陸軍からの電報です」
「お国のために一郎がお役に立てて、よかった」そういって、精一杯誇らしげにふるまうお母さん。
近所のみなも
「立派じゃ、偉いもんだ、尊いもんだ」と次々に挨拶に訪れます。
でもね、
一人になると、お母さんは、膝の力が抜けて、ぐったりと座り込んでしまいましたよ。

「名誉の戦死だと。なんで名誉なもんか。痛かったろう。苦しかったろう。一郎や」
お母さんは、お布団に突っ伏して泣きました。

その後、残りの息子たちの無事を毎日祈って、桐の木に、せっせと水をやります。
「二郎も三郎も四郎も、手柄なんか立てんでもいい。隊長さんにほめられんでもいい。だから一郎兄さんみたいに、死んじゃいけんよ」と話しかけながら。

それを聞きつけた隣組の人が
「そんなことを祈ったら、非国民と言われますよ。やめなされ」
と眉をひそめてお母さんに忠告します。

その後、二郎は南方で戦死し、三郎は船とともに海に沈み、四郎はガダルカナルで戦死したという知らせが次々にお母さんのもとに届きました。
お母さんは気も狂わんばかりでしたが、平静を装って毎日を暮らしていました。

とうとう、五郎、六郎そして末っ子の七郎まで兵隊に取られてしまいました。
「お前たちを兵隊にするために産んだんやない。死なせるために育てたんやない。どうか生きて帰ってきておくれ」
と出征前の三人に言いました。

日本の旗色はどんどん悪化し、もう本土決戦だという噂が聞こえる頃、無情にも、残りの息子たちの戦死の知らせが届きます。
お母さんは胸が張り裂けそうになって、苦しみ悶えました。
「ああ、はやくこんな戦争なんか終わっておくれ。あたしの息子たちを返しておくれ・・・」
結局・・・
五郎はビルマのジャングルで行方知れずになり、六郎は沖縄で戦死し、七郎は神風特攻隊で敵艦に突っ込んで死んだということでした。

お母さんはひとりぼっちになってしまいました。
毎日桐の木の前で、息子たちを思い出していました。
「この厚ぼったい葉は一郎の・・・、柔らかい優しい葉は二郎の、このはっきりと切れ込みのあるのは三郎の・・・」
「大きくて丸い四郎の葉、小さいけど沢山葉を茂らせる五郎の木、濃い緑の葉は六郎の、まだ細い木は七郎の・・・」

暑い夏、長い長い戦争は、日本が負けて終わりました。
「負けたんは、おまえらのせいやない。お父さん、お母さんらが、戦争はいややと、懸命に反対せんかったからや。わたしらがもっと強かったらお前たちを兵隊にやることはなかったのに。すまないことをした」とさめざめと泣き崩れました。

終戦からしばらくたった、秋風の吹く頃、
ビルマで行方知れずになっていた五郎は、たった一人、生きて帰ってきました。
ぼろぼろになって、足はびっこになって・・・
「おかあさん!五郎がただいま帰ってまいりました」
返事はありません。
五郎が裏に回ってみると、お母さんが五郎の桐の木に寄りかかって動かなくなっておりました。
「おかあさ・・・」
揺すっても、もう目を開けてくれませんでした。


五郎は、くるみの木を庭に植えました。
今は、五郎は結婚もし、子供も生まれ、平和に暮らしています。

くるみの木には毎年たわわに実がなります。
五郎は息子や娘たちと、その実を食べながら言います。
「お前たちのお祖母さんが、父さんたちのために桐の木を植えたけれど、父さんはお前たちのために桐の木を植えることは決してしないよ」とね
子供たちはきょとんとして聞いていましたよ。

おしまい。