あたしね、その昔、アメブロから引っ越してきましたのよ。
しょっちゅうブログを消されて、あげく、強制退会ですもん。

アメブロの頭の硬さときたら、どうしようもない。
あたしの文章のどこが「わいせつ」で「青少年」に悪影響を及ぼすというのだ?
たびたび削除されるので、少し変えてまた載せてやりました。
そうすることで、あたしの表現も磨きがかかるので、ありがたいのだけど。

上に挙げた「悪影響」の理由をアメブロが述べたわけではないんです。
述べもせずに勝手に削除するのだから恐れ入る。

アメブロの規定から推測して、あたしがそういう答えを用意してやったまでのこと。

開高健の「開口一番」というエッセイ集がある。
後半は「四畳半襖の下張」裁判の証人として法廷に立った開高の弁駁集だ。
「四畳半襖の下張」がわいせつ図画、表現にあたるかどうかを法廷で裁くというのだから馬鹿げています。

弁護人の藍谷邦雄の無駄といっていいくらい冗漫な尋問は滑稽なくらいです。

それに答える開高は、小気味よい。
さすがだ。

法廷で自身のオナニー体験を披瀝する。

そうやって、人は成長するものだと喝破する。

オナニーにオカズ(とは言わないが)が必要なのは男なら知っているはずだ。

オカズが「四畳半襖の下張」だっただけではないか。

それにしては、表現が優れている。

文学の香りすらする。

なんの問題があるというのか?

開高は、だいたい上のような主旨のことを延々と弁駁するんですね。

青少年の非行の動機にわいせつ物が影響するって言われてますがどうでしょうか?
じゃあ、オナニーは非行か?
前時代的な、時代錯誤な考えですね。
オナニーで済むなら、平和じゃないか。

実は、非行の原因はわいせつ物にあるのではなくって、青少年の置かれた立場、境遇が大きく作用していると開高は指摘します。

性非行(オナニーを含むかどうかは別にして)、つまり陳列行為、痴漢行為、強姦などは青少年の家庭内不和や、ネグレクト、勉学の強制に対する反発が主たる原因であって、わいせつ物はヒントになる程度のものであります。

むしろ、わいせつ物に積極的に触れて、フラストレーションを開放するほうが、青少年の精神衛生上、好ましいものではありますまいか?

わいせつな表現をするのには、いくつかの方法があります。
陳列行為や痴漢行為は相手の同意なしにすれば犯罪であります。
絵画や文章で表現することは、ほとんどの場合、許されるものです。
表現の自由という憲法に守られた権利がみなさんにあるからですね。

不快に思う者が見なくてすむ権利も大事です。
無理やり見せるのは、陳列行為と同じだからです。

見えてしまう(ブログなど)のはどうでしょうか?
見たくなきゃ、どっかへ行けばいい。
相手に選択の自由を保証していますから、ある程度ゆるされていい。

写真でなく、文章でわいせつ表現をすることは、正しい性の発露だと思います。
いや、そうでなくては文学は育たない。

言葉を選ぶ作業が大切になることは言うまでもありません。
それは、どんな作家だってしてることです。
「置き換え」表現、婉曲表現を駆使して書くのが作家の力量です。
「そのまま表現」は避けるべきだと思いますが、時と場合があるので一概には申せませんが。
「立たせる」「濡れさせる」表現を切磋琢磨していく場がブログなのです。
そこをアメブロはわからなくてはならない。

写真など具体的なものは、脳裏への焼き付き方が強いので、もう少しベールをかけるほうが青少年にはよろしかろう。
「でも少しは見ていいよ」となおぼんは思います。
「見たい」という衝動を犯罪につながらせないように、わいせつ文学があるんですから。


わいせつなことを知らなけりゃ、子供を作ることすらできないんだよ。
めいっぱい、わいせつなことをして子供を作っておきながら、世の父母は子供にはそれを見せない。
その二面性が、あたしは我慢ならない。
そこは嘘をつくなよな。
だんなをフェラした口で、子供に説教垂れるなよな。

これはアメブロさんの責任じゃないけどね。