うちの車は日産ノート(丸い目のやつ)で、後部座席は車椅子を倒して載せるので、フラットにしてあります。
だからツーシートになっちゃう。

そうそう、今晩はクルマの話をしましょうか。
大学時代の、免許取ってすぐは、自分の車は持てなくて、父のカローラⅡ(マニュアル、重たいハンドル、手動窓)で練習しました。
就職してからは赤のシビックでした。
あたしが学校を卒業して就職したころは、バブル期の前でとっても景気がよかったんですよ。
就職は、学生の方が売り手市場でね、内定がフタ桁なんてざらでした。
※こんなこと書いたら気を悪くなさる方いらっしゃいますよね、ごめんなさいね

仕事もロクに出来ないヒヨっこなのに、いきなり暮れのボーナスが三桁。
信じられなかった。
今思えば、すべての間違いがここから始まっていたのかもしれません。

入社した次の年の秋には、新車の真っ赤なシビックを買っちゃいましたよ。
もちろんキャッシュで。
ついでにロッシのスキーのセットも買って、男の子らとスキー場のはしごをしましたよ。
どこのゲレンデも人で一杯で、リフトが二時間待ちとか。
ほら知世ちゃんの「私をスキーにつれてって」ていう映画があったでしょ?あんな感じ。

ほんと、バカやってました。
子供が大金持つとこうなっちゃう、いい例ですわ。
六年ぐらいシビック乗ってましたかね。

将来だんなになる人らがいた会社のグループで夏のツーリングに行きましたっけ。
だんな(になる人)は白黒ツートンのカローラレビンで、あたしがシビック、ケータイなんてないから、アマ無線で連絡しあって・・・。

オートマ車が欲しくなって、三十歳前に、ホンダのイノーバっていう2000ccクラスのクルマに乗り換えました。
オートクルーズがついてて、感動ものでしたよ。
高速なんか、この装置でハンドルだけさわってたらいいんだもの。
出張で福井県の三国によくイノーバで行きました(あたしの作った製品を三国の工場で試作したりするので立ち会うんです)。
それから、結婚して、夫婦でしばらく二台の車に乗ってました。

四十になって、馬鹿やって、会社やめちゃったときにイノーバを手放し、だんなの日産パルサーだけにしました。
※だんなのレビンはずいぶん前に事故って廃車になってたのよ。
そうして、八年後、彼が倒れ、収入も激減し、パルサーをノートに変えて、現在に至ってます。
ノートは障害者仕様になってて、税金も免除です。
これがないと、病院にもいけませんので、必需品です。

だんなは車の好きな人でした。
彼から学んだことは、車というものは、メンテは大切だけど、改造やチューンナップはしてはいけないということ。
市販車は「工場出し」の状態がいちばんよく調整されていて、慣らし運転で良くなっていくようになっているから、チューンナップの必要は無いわけね。
車雑誌(八重洲出版のやつとか)をみて素人が出力アップを目指すと、どこかが無理するので、結局、車が長持ちしなくなるって。
マシン(機械)って、そういうもんだよ。

今は、パートで産業機械の組み立てをやってんだけど、試運転のときそう思うよ(ついに化学屋が機械工だよ)
図面は、以前、弁理士事務所でCAD使ってたから、まあ読めるけど。
組み立ては、班長に叱られっぱなし(涙)。
ザグリ、皿もみ、勝手反対ってどっち?定盤(じょうばん)って何?ノギスとマイクロメータで計れって、平行ピンを打て、LMガイドをつけろ、現合(げんごう)でバカ穴あけてくれ、タップでねじ穴を立てろ、M3のねじ穴の下穴はどのキリ(ドリル)使うの?
そら、「やすり掛けだ、インパクトレンチだ」、エアチューブの引き回しが汚い、インシュロック(結束バンドのこと)切ってやり直せ!
五十肩のあたしには、もう一杯一杯です(悲)

あら、もうこんな時間。

今は正直、生活、苦しいです(子供いないのでなんとかなってますけど)。
あんな身の程知らずの贅沢を経験したのだから、あとはオマケの人生ですね。
自業自得です。
芥川龍之介「杜子春」をふと思い出しましたよ。

ちょっぴり、昔のいい時代を思い出して飲んでました。
もう寝ましょうか。