胡桃といえばこんな思い出があるよ。

中学最後の夏休みの一日だった。
従弟と二人して、橋のたもとから、くずれかけた石段をおりて、川岸に出た。
そばに大きなくるみの木が立っていて、青いくるみの実が鈴なりに成っていた。
「くるみの木はね、川沿いに生えていることが多いの」
あたしは国鉄の鉄橋のほうを眺めながら言った。
従弟は、黙っていた。
「こうちゃん。なぜだかわかる?」
ふりむいて、彼より少しだけ背の高いあたしは問いかけた。
「ううん、わからない」
たぶん、彼はそう応えたのだと思う。それとも、そんな表情をしただけだったのかもしれない。
「それはね、山のくるみの実が落ちて、川の水に乗って、岸に流れ着いて芽を出すからよ」

ちょっと得意げに、自分の耳学問を披露したことを思い出したよ。
でも、本当のところは知らない。

ずいぶん後に、彼の日記みたいなものを読む機会があった。
もちろん彼の同意の上でですよ。
そこには、およそ次のようなことが書かれていたと思う。
「従姉が、ぼくとは全く種類の違う人のように見えた。ずっと憧れでしかなかった彼女にほのかな好意を抱き始めたのは、やはり河原でのあのひと時からだったと思う。それからしばらくあって、ぼくは上の学校に行くための勉強にいそがしくなり、高安(たかやす)の家に行くことはほとんどなくなった」と。
ちょっと切なくなりましたよ。
彼とはもう何十年も会っていません。
どうしているのかな?
※高安とは、あたしたちの祖父の家のあった場所で、身内ではそう言い慣わしていた。

従弟との思い出はもう一つあります。
将棋を教えてもらったこと。
会えば、必ず、一局は指してた。
ただ、あたしたちが当時、指していた将棋は子供の遊びだったわ。
それに気付いたのはつい最近のことでした。
実は、去年の豪雨のとき、集会所に避難してきた近所の女子中学生の数学を見てやっていたときに、彼女が「おばちゃん将棋、知ってる?」って言うから、「知ってるよ」って答えた。
※宇治市は昨年、豪雨で宇治川の支流が氾濫し、大変な被害が出たんです。

それが始まりで、彼女(Kちゃんとしておく)と日曜日などに指すようになったのよ。

あたしは、我流で将棋の本も読んだことがないヘボだから、いつもこてんぱんにやられたわ。
だって、彼女はお父さんから指南してもらっている本格派(?)だったからねぇ。
あたしもたまらないから、あわてて本読んだり、NHKの講座を見たりして、馬鹿にされないように(されてるだろうけど)お勉強しましたよ。
そうすると、おもしろさがわかってきて、Kちゃんに指導対局をお願いして、6枚落ちから4枚、2枚落ちでいい勝負まで指せるようになったよ。
詰め将棋の本も買って、こうやって飲みながらやってんだけど、だめね~。
Kちゃんのすばらしいところは、こんなあたしを馬鹿にしないところ。
若いのに、できた子だわ。尊敬しちゃうね。