「あほらしやの鐘が鳴る」と古い大阪の人はよく言います。
どんな鐘なんでしょう。
「かーん」
てな感じでしょうか?

あたしの亡くなった父は、仕事であまり家に帰らない人でしたが、たまの休みには、あたしとよく話してくれました。
遊んでくれるわけではないのですが、ただ、どうでもいいことを会話するだけだったと思います。
このフレーズは父がよく言ってましたっけ。
あきれはてたときに言うんです。
「あほらしやの鐘が鳴る」って。

「力道山は肉を食いすぎて、死んだんや、なおこも肉ばっかり食わんと野菜も食べや」
とか、平気で言うんです。
あたし信じてた。
物心ついて、この話を友達にして、馬鹿にされました。
「あんた、何言うてんの。力道山は刺されて、殺されたんやで」
らしいですね。

学校から帰って、父にこのこと話すと、とぼけて「嘘も方便」としゃあしゃあと言ってのけるんですよ。

だからというわけではないですけど、あたしも嘘をつくということに対して、ハードルが低いです。
会話を潤すための嘘もまたええもんです。
嘘から出た誠ということもあろうかと(意味違うやろ)。

「イギリス」という名の工具があるんです。
あたしは、父から「プライヤ」のことを「イギリス」と教えてもらってました。
えらい違いです。
「イギリス」とは「イギリスレンチ(モーターレンチ)」のことで、プライヤとはまったく異なるものでした。
ついこないだのことです。恥かきました。
父に言ってやろうと思いましたが、その父はもういません。
たぶん、父は嘘を言ったのではなくて、父も間違って覚えていたんでしょう。

こんなこともありました。
「スイカの種は食べたらあかんよ。お腹から芽がでて、お尻の穴からつるがでるし」
あたしは、スイカを食べながら、凍りつきました。もう何個かお腹に入ってるし。
「お父ちゃん、どうしよ」
「え?なおこ、種、食べたんか?」
泣きそうになって、うんとうなづいた。
「みんながみんな、なるわけやないから大丈夫や」そう言って、父はシャクシャクとスイカを種ごと食べてます。
「お父ちゃん!種、出さな!」
「お父ちゃんは、盲腸の手術したから、ええねん」
「そうなん?」
もう、嘘のオンパレードです。どっからどこまで信じたらええねん。

よく考えたら、世の中うそばっかりでしょ。
デパートのメニュー偽装とか東電の原発のコメントとか、嘘って言うより、詭弁ですやん。
国や企業の上の人ってみんなあんなんかなと思ってしまいます。
黒も白って言えるねんね。

法律の勉強してたとき、「正直者はバカを見る」という例をいやというほど見ました。
判例ってなんなん?誰の味方よ。
口では「弱者」の味方なんていうて、ほんとのとこ「金持ち」の味方やんか。

とはいえ、美しいウソは文学です。芸術です。
化粧も女のウソです。
でも、ウソはばれたらおしまい。
ばれないウソをつくには、かなり頭がよくないとできません。
だったら正直にものを言う方が楽です。
今はそう思ってます。

「はよ、吐かんかい。楽になるで」
まったく刑事さんの言うとおりです。